2011年3月、東日本大震災に被災した。
東北に近い関東のため、父が新品で買ったばかりだったテレビは割れ、母が揃えていた食器は全て棚から落ちて割れ、家の中は一瞬にしてぐちゃぐちゃになった。
私と弟は、当時小学6年生と幼稚園の年長さんだった。どちらも当時流行していたインフルエンザに罹り、自宅で休んでいた。その時親がリビングで見ていたのが『シャッターアイランド』という映画で、そのラストシーンのあたりで地震が起こった。
最初は何が何だか分からず、とりあえず机の下に避難した。次第に揺れが増していくと危険を感じ、みんなで外に出ようということになって、当時飼っていたチワワが怯えて抵抗する中私が必死でリードを引っ張って連れて行ったのを覚えている。
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一時的に車で避難したのは、近くの合同庁舎の駐車場だった。その後近くにいた人から、避難所が開設されたと教えてもらって移動した。
避難所に行く際、母が家に戻ってたまたま4合炊いていた炊飯器の中の米を使って味噌おにぎりを作って持っていき、それをみんなで食べた。あれほど身に染みたご飯はないと思う。今も味を覚えている。
避難所で一夜を過ごした。電気もトイレも使えない暗闇の中、職員の方がタオルケットやお湯を用意してくれて不安が少し和らいだ。懐中電灯を照らさないと誰が誰だか分からない。
その次の朝に埼玉に住む親戚から「こっちに来たら?」と電話があり、当時精神疾患の療養のために親戚が2人来ていたためうちの家族と併せて6人で向かった。
埼玉で過ごした1週間のうち、ほぼ家の中でテレビを見て過ごした。外に出たのはスーパーに買い出しに行くという時について行って、お菓子を買ってもらったりするくらい。
テレビを見ていると、CMでやたらと「ぽぽぽぽーん」という聞き慣れないフレーズが流れ、それが続くと段々と嫌気がさしてきた。『あいさつの魔法。』という名前の作品だ。
最初はイラストの似顔絵をチラシの裏に書いたりして、好意的だった。場を明るくするために、歌詞を繰り返し唱えたりもした。しかしそれが続くにつれ段々と嫌気がさして、「こんにちワン」の「こ」の字も聞きたくないレベルになった。
作品自体は素晴らしいのに、あの状況下で延々と流れるとその作品自体にもいやな感情を抱いてしまうのは悲しいことだと思う。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというか。
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今でもたまに思い出す。なんとはなしに思い出す。
「ぽぽぽぽーん」というフレーズが、 私の耳から完全に離れていくのは、きっと息を引き取る時だろう。
当時持っていたガラケーにチェーンメールがわんさか送られてきたのも走馬灯の一部に現れそうだ。
自宅へ戻ると家の中の物の処理に追われたが、友達や先生がみんな生きていたという事実がただ嬉しかった。体育館は倒壊し、卒業式は違う場所を借りてすることになったけれど、生きて会えるということがどんなにすごいか、ということを感じた。