自分の誕生日はなんとなく楽しく過ごしたい。一年に一回の特別な日なのだから。そう思って二十数年過ごしてきたけれど、前回の誕生日付近の数日間はぼろぼろだった。
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ことは誕生日の二日前に遡る。仕事は休みだったから、散歩がてら本屋に行くことにした。
家から徒歩十分ほどの本屋に着いたところで、みぞおちの辺りがムカムカしてきた。メガネ酔いかもしれない。慣れていないメガネに罪をかぶせて、そのうち治るだろうと思って本を選んだ。
本を買い終わっても、やっぱり気分の悪さが治らなかった。これは歩いて帰れないかもしれない。悩んだ末、家族に連絡して急きょむかえに来てもらった。その日は吐き気で夜まで布団にこもっていたら、兄も夕方から腹痛で寝込んでしまった。昨晩食べたお弁当に罪がかぶせられた。
誕生日前日は仕事だった。病み上がりで正直休みたかったけれど、その日は後に残すと面倒な予定が入っていた。幸い体調が悪くなることもなく仕事を終えて、定時で職場を出ることができた。
家に帰ると、母が体調を崩していた。後でわかったのが、先日巻き寿司を買った飲食店が食中毒を出していた。わが家で度重なった体調不良は、これが原因だったのかもしれない。お気に入りのメガネも、スーパーのお弁当も、無罪放免だ。
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誕生日当日。この頃わたしは仕事に行くのがひどく苦痛だった。誕生日なのに仕事なんて。休日は体調不良で崩れ、昨日も休めなかったから、すでに体力はすっからかんだ。そう思いながらしぶしぶ準備をしていると、有難いことに誕生日祝いのメッセージが届いた。
でもわたしは、お礼を返せる心境ではなかった。「いい一日を過ごしてね」って言われたって、仕事なんだよ。ひねくれてしまう自分に苛立ち、涙があふれた。
夜、やっとお礼のメッセージを返すことができた。朝の自分が情けなくなり、わたしはぐっと視界が狭まってしまうところがあると、何回目かの反省をした。この日は運が悪かったとかではない。自分のせいだ。
そんなぼろぼろの誕生日だったけれど、「誕生日クライシス」という考え方があるらしい。
どんよりした気分のなか「誕生日 いいことない」で検索したらヒットして、初めて知った。誕生日前後に悪いことがあると、運気の変わり目でいいことが起こる前触れだとする考え方があるようだ。
スピリチュアルかもしれない。でも、これからいいことが起きるのだと考えたほうが気持ちが救われる。
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それに、不幸中の幸いもあった。気分が悪くなり家族にむかえに来てもらったとき、心配してくれる家族の顔に胸がいっぱいになった。その頃眠りが浅い日が続いていたけれど、その日は身体がやられていたからかいくらでも寝られたのも心地よかった。
誕生日当日は、晩ご飯の親子丼がいつも以上においしかった。食べながら、ここ最近もやもやした気分にとらわれてその場の幸せを味わうのを忘れていたことに気づいた。
散々だった誕生日。でも見逃してしまいがちな幸せに気づいて、これからいいことがある前触れなのだとしたら、それもいいのかもしれない。