死ぬ前に何が食べたいか。私は母が握った、冷たいおにぎりが食べたい。
母のおにぎりは常に私と共にあった。梅干しと卵焼きが定番の具で、味のりが一枚貼り付いたおにぎり。そして、いつも冷えている。
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小学生。私は合唱クラブの練習の休憩におにぎりを食べている。一生懸命歌っているのにどうしてソロパートを貰えなかったんだろう。音楽準備室で泣きながら食べている。冷たくて喉越しが良い。飲むように食べた。
中学生。学校に行きたくない。ひとりで公園に行ってぼうっとしてたらお腹がすいて、冷たくなったおにぎりを食べる。私がひとりぼっちでこの包みを開けることなんて母は知らない。ずっと知らないままでいい。
高校生。塾の休憩時間におにぎりを詰め込んですぐに勉強に戻る。冷たい塊が喉の奥に引っかかって苦しくなり、涙目で飲み下す。
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母は私がお腹を空かさないよう、毎朝お弁当とは別におにぎりを持たせてくれた。思えば学生時代の私はいつも目の前のことに夢中で、ご飯を食べることも忘れて部活動や勉強に打ち込んでいた。それをいつも支えてくれたのが冷たいおにぎりだった。私はそれを食べながら、自分はひとりではないとどこかで思えていた。
大学に入り、時間もお金もある程度自由に使えるようになって、母のおにぎりを食べることはなくなった。半分大人で半分子どものような、不安定な大学時代を過ごした。
それから卒業して、就職と同時に一人暮らしするようになった。ドラマの制作会社に入社した私は、冷たくなったロケ弁を食べていて、ふと思い出す。もう大丈夫、私はひとりでも自分のお腹くらい満たせる。大人だから、と思う。思ったのに。
私は就職して2年で身体を壊して、一時的に実家に帰った。
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実家は何も変わってなかった。時間が驚くほどスローに流れている。ドラマの撮影現場の、戦場を思わせる忙しさを抜けてきたから、時間の使い方がわからなかった。
そして、長い間、泣くことができなかった。私は社会でやっていけなくなってここに戻ってきてしまった。そのことを認められなくて、心がいつまでも眠っているようで、泣きたいのに涙が出なかった。一日中横になって、ただ息をするだけになっていた。
父も母も、まだ学生だった妹も、そんな私を心配した。それもこれも全部大きな膜を隔てたものに思えた。食べ物の味も音も匂いも温度も、全部が嘘みたいに思えた。
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妹が学校から帰ってきて、不意に机におにぎりを置いた。学食でお昼を済ませて、おにぎりは食べずに持ち帰ったのだ。
「お姉ちゃん食べてもいいよ」と言われて、私は本当に久しぶりに母が握ったおにぎりを食べた。
気がつくと涙していた。そうだった。私はこれが好きだった。ひとりじゃないと思えるから。私は食べ終わってからも泣いて、泣いて、ひとしきり泣いてから、ぐっすりと眠った。
それから少しずつ感覚が戻っていった。大丈夫、生きていける。そんな気がした。