自宅での食事で、食べる前に必ず写真を撮っているメニューがある。夫がつくってくれたオムライスだ。
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彼の手料理のオムライスを初めて食べたのは、付き合っていた学生時代。ひき肉と、みじん切りしたピーマン、玉ねぎ、にんじんを炒めたケチャップライスに、とろとろの卵がのっかっている。
野菜炒めとか、簡単なものさえ普段全然自炊していないくせに、なぜか作ってくれた完璧なオムライス。ご飯を炊いて、野菜を切って炒めて、ご飯とケチャップで炒めて、フライパンを一度空にしてバターをぬって卵を焼いて…。なんだか、やけに手がかかっている。
聞くと、「亡くなったおじいさんが昔、喫茶店を営んでいてお店で出していたらしく、家で作ってくれていたのを思い出して作ってみた」とのこと。そんな話初耳だ。昔の記憶を思い出しながら、味の再現ってできるのだろうか。
なんでもいいが、とにかく美味しい。「この人料理できたんだ」と感慨にふけながら夢中で食べた。あの時は、一人で3食分くらい食べた気がする。
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その後、大学を卒業して社会人生活がスタート。私は見知らぬ遠方の地に配属になり、たった一人での生活が始まった。初めての仕事と土地で孤軍奮闘。毎日が精一杯で、彼との遠距離恋愛を嘆く余裕もないくらい張りつめていた。
部署に配属されてはじめての3連休。1日目の土曜日も、新入社員が参加必須の労働組合の説明会があり、休みが減らされたと不満だった。終了後、急いで高速バスに乗り込んで5時間。彼の家に着いたときにはもう夜になっていた。
会社という現実から逃げ出してきて、久しぶりの彼の家に安心しつつも、長い移動のせいか、社会人ならではの余裕のないスケジュールのせいか、落ち着かない私に、彼がつくってくれたのがオムライスだった。
「このオムライスが一番好き」と満足気に言った学生時代の笑顔の自分をすっかり忘れていた頃。ふいに作ってくれた手料理を食べて、「私には帰る場所があったんだ」と泣いてしまった。オムライスが「お帰り」と言ってくれている気がした。ご飯を食べて涙したのは、後にも先にもこの時だけである。
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数年間の遠距離恋愛や私の転職活動を経て、私たちは結婚し、彼は愛情深い夫になった。料理は普段は私が作ることが多いが、時間のある休日や、材料がそろっていたときなど、今もたまに特製オムライスを作ってくれる。そのたびに私は「今日はオムライスだ」と子供のように笑顔になる。
私にもこの春に子どもが生まれ、夫婦2人で適当に済ませていた食生活からは卒業しないといけないと思うようになった。
今日のスーパーで何を買ったらいいかと冷蔵庫を開けたら、夫がオムライスのタネと呼んでいる、ひき肉と野菜を炒めたタッパがあった。どうやら、赤ちゃんのお世話をしながら夜中に作ってくれていたらしい。
毎日飽きずにミルクをごくごく飲んでいるこの赤ちゃんが、いつかパパが作ったオムライスを「おいしい」と言ってくれる日を楽しみにしている。