私の頭の上に嘘カウンターがあったら、それはすごい数が表示されているに違いない。

私はずっと周りに嘘を重ねている。いつも「大丈夫」と答えてしまう。人生を振り返ると、たくさんの「大丈夫」を思い出す。

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たとえば、中学の修学旅行の班分け。男女3人ずつの班になる必要があったけれど、私たちいつメンは女子4人だった。つまり、誰か1人が抜けなければならない。じゃんけんでも何でもすればいいと様子を見ていたけれど、誰も何も言い出さない。余って入ることになる班は、楽しめそうなメンバーじゃなかったからかもしれない。
本当はみんなと組みたいけれど仕方ない。私、他の子たちに「3人で組みなよ」と言ったら、「え?!」と驚かれた。私は「大丈夫だよ。私があっちに移るから」とその場を離れた。結果、入れてもらった班ではあまり盛り上がらず、まったく修学旅行を楽しむことができなかった。

修学旅行が終わって、いつメンの子たちは回った場所のことを楽しそうに話してくれた。私は「そうなんだー」と聞いていたけれど、内心とても複雑だった。それに加えて「みちるちゃんも一緒だったらよかったね」「寂しかったよ」と言われ、ちょっとイラッとしてしまった。「私が我慢したからみんなは楽しめたんでしょ」と、私は心の中で呟いた。

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学生時代はこの「大丈夫」のせいで、あまりいい思い出を作れた記憶がない。

周りのみんなが当たり前のように経験している、キラキラした甘酸っぱい青春。それを私だけ味わえなかったことを、今でもすごく後悔している。

社会に出たら思い切り楽しもうと決めていたけれど、私の性格はそう簡単には直らない。

旅行やデートなど、楽しみなはずのイベント。ワクワクしている反面、いつも不安を抱えている。相手に迷惑を掛けないようにしなければというプレッシャーから、急に体調に出てしまうことが多い。気づかれないように色々な理由をつけては「大丈夫」で誤魔化し、毎回乗り切っている。

こんな思いをしながら過ごすのは正直つらいし、他の人は私のようにならなくていいなと羨ましく思う。

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本音や事実を伝えることは、ときに相手を傷つけたり負担になったりしてしまう。だから人はときに嘘も方便も必要だと思う。私は、幼少期から家族を見ていてそれを学んだ。小学生の段階で私は我慢強く、そしていつも「大丈夫」と言ってしまうような人間になっていた。

誰かを陥れるのではなく、誰かのためにつく小さな嘘。だから、悪いことではないし大丈夫。そう思っていたけれど、やっぱり自分に嘘をつき続けるのはよくないのかもしれない。「大丈夫」と口にするたび、自分の心にヒビが入っていくような感覚になる。涙が出そうになることもよくある。今度こそ本当に変わらなければ。

もうアラサーの私でも、まだまだ人生はやり直せる。過去に戻れなくても、これからがある。自分を犠牲にしたり、苦しくなったりする嘘はもうやめる。言葉を飲み込まず、きちんと意思表示する。我慢しないで「お腹が痛い」と正直に伝える。

たくさんのイベントを私も自分らしく、笑顔で思い切り楽しみたい。