私が住んでいる場所に同年代は少なく、私から見ると祖父母の年代が多い。同年代が少し苦手な私からするとそんな場所が住みやすいのかもしれない。ただ少しだけ気にしていることがある。

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私はここで“私”という言葉を使っているが、普段生活している時に使う自分を指す言葉は“わし”である。私でもない、俺や僕でもない。そう思ったから。

3月に卒業した高校では3年間スカートを履いていた。シャツにはリボンをつけていた。正直制服を着ている自分には違和感しかなかったが、どれだけかっこよく、男っぽく見せていても女としか見られていないと感じていた私は制服でズボンを履く勇気がなかった。

そこで気づいた。少なからず私は自分の性別に違和感を感じているのかもしれない、と。

そんな私は祖父母の年代である近所の人に言われた忘れられない言葉がある。

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「女の子っぽく、可愛くなってきたね」という言葉だ。そう言われたあとに、男性アイドルに対してかっこいいと思うこともあるが、ふとした瞬間に“可愛い”と思った経験が私にはあった。だから言われた言葉に違和感を持ちながらも可愛くなってきたねと言われたことに対しては素直に嬉しかった。でもそれが“女の子っぽく”なきゃいけない理由が分からなかった。

男性アイドルに可愛いと思うのと反対に、女性アイドルにかっこいいと思うことだってある。男だろうと女だろうとかっこいいと思う時と可愛いと思う時がある。私はそれが普通だった。気づけば女の子っぽいから可愛いの?という疑問でいっぱいになった。

そして女の子っぽくと言われたことがずっとモヤモヤしていた。その言葉すらなければただただ嬉しい一言だったかもしれないのに。

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元々短かったが少しだけ伸ばしていた髪を高校卒業を機にさらに短く切り、そして自分を強く見せるために染めた。卒業してスカートを履くこともなくなった。何を言われるか分からない怖さから避けてしまっているのもあるが、気になる言葉を言われた時以来近所の人と話すことはないのでどう思われているのかは分からない。男になりたい!というわけでもないがどちらかと言えば男っぽくなりたい私から少しでも女っぽさが消えただろうか。

同年代が少なく、住みやすいと思っているからこそ気にしてしまった。そして理解を求めようとしてしまった。その時に思ったことは住みにくくても同年代が多ければ理解のある人が多いのだろうか。私の偏見でしかないかもしれないが、年齢が上の人ほどジェンダー問題に関心がないような気がしている。

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同年代にしても祖父母の年代にしてもみんながみんなジェンダーの問題に興味を持っているとは思っていない。興味のない人にジェンダー問題に興味を持って欲しい、理解して欲しいなんてのは難しい話だと分かっている。だから言うつもりもない。

でも自分の性別に違和感を持っている人たちからするとジェンダー問題にあまり関心のない人から言われる悪意のない何気ない言葉が人を苦しめるかもしれないことだけは知っていてほしい。