社会人になる前日の夜、父から手紙をもらった。なんだか平成くさい封筒に入った分厚い手紙を、5通。

「幼稚園に入園するさっちゃんへ」
「小学生になるさっちゃんへ」
「中学生になったさっちゃんへ」
「〇〇高校に入学するさっちゃんへ」
「音大生になるさっちゃんへ」

書き方が絶妙に違うあたり、父のO型さを感じた。父は「本当はお嫁さんに行く時に渡そうと思ってたんだけど、今は結婚しない子も多いからな。今渡すよ」と言葉を添えた。

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幼少期のわたしへ宛てた手紙には、子供が大好きな両親にできた初めての子供で2人とも心から嬉しかったこと、わたしが初めて話した言葉が「ママ」でも「パパ」でもなく、ご飯を食べて「おいしい」、鏡を見て「かわいい」だったこと、母に似て感受性の豊かな子に育ったこと、父に似ておしゃべり好きな子に育ったことが書かれていた。

小学校入学前の手紙には、幼稚園で好きな子ができたこと、めぐみ先生・あみ先生という先生が大好きだったこと、隣のクラスにいた障害を持つ女の子と一緒にトイレに行っていたこと、演奏に来てくれた吹奏楽部のお姉さんたちに憧れたこと、そして4歳半の時に生まれた妹の面倒をよく見る子だと書かれていた。

中学生になる頃の手紙には、勉強が嫌いだったからか勉強を頑張ってほしいという父の希望、ピアノやお習字、器械体操など習い事を一生懸命に頑張っていたこと、当時のドラマに感化され音大生になりたいと言っていこと、母に似て字が上手く音楽のセンスがある子に育ったことが書かれていた。

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高校に入学する時の手紙には、わたしが強豪の吹奏楽部に入部して部員100人の中で活動をすることに対する誇りと不安、高校の校歌の作者が父の好きなアーティストであることの喜び、そしてもっと勉強してほしかったと書かれていた。勉強は本当にできなかった。ごめんな。

そして大学生になる時には、高校生活最後の演奏会で指揮台に立つ娘への誇り、まさか娘が音楽大学に入学することになるとはという驚きや、それなりに世間の常識を教え込み、もうどこに出しても恥ずかしくないという、わたしへの自信が綴られていた。

わたしを妊娠した時に両親がどれだけ嬉しかったか、わたしは何が苦手で何が好きで、どれだけたくさんの人に助けられながら、どのように育ったのか。1通あたり5ページにも及ぶ手紙を5通読み、大きな大きな愛を感じた。この手紙の存在は母も知らなかったようで、母はちょっと引いていた。

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昔からパパっ子だったと思う。父はバイクでツーリングに行くのが趣味で、わたしは3歳の頃から父の後ろに乗っていた。母は心配していただろうけど、わたしはニコニコしていた。

幼い頃、父とツーリングに行った先で食べたソフトクリームがすごく美味しかった。

どうやら当時のわたしはアイスクリームが溶けることを知らなかったようで、「もうひとつ買ってママに持って帰ってあげよう」と言ったらしい。父は、なんて心の優しい子なんだ思ったそうだ。この話をもう何度も聞いた。
わたしは今でも、誰かにプレゼントをしたり、お土産を買ったりするのが好きだ。何かをあげるというより、誰かのことを考えながら買い物をするのが好きだ。きっと父がツーリングに行くたびに、家族へお土産を買って行くところを隣で見て育ったからだ。

「56歳になった父へ」
真面目で堅くてめんどくさいって思うことも多々あるけど、パパが身長低いからわたしも小さいけど、パパがわたしのパパだったから、それなりに常識をわきまえた女性になりました。
子は親を選べないし、親は子を選べない。でも多分わたしは、選んでここに生まれたと思います。