若年層の女性が対象となっているこのエッセイで、みんなが思い浮かべる「父親」とはどんな存在なのだろうか?
かくいう私にとっての父、それは休日にしか存在感がないひとだ。
私の父は、長年中学校の教員をしている。22歳の私が生まれる前から現在まで約30年だ。
今では中学校の校長先生にまで上り詰めた。

父の背中を見ていると、教員という仕事は、つくづく家庭よりも学校のことに向き合わなければならないほどハードな仕事だと感じる。
どんな仕事だって責任をもって務めることは重要だけど、教員は単に教科を教えるだけにとどまらず、誰かの子どもを育て、導く存在とならなければならない重役を担う場面もある。

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だから、父は、家に帰ってきてからも安まらず、保護者からの連絡を受けたり、学校の事務的な仕事や教育指導のための準備を入念にしてきた。朝は早く、夜は遅く帰ることが多いため、酷いときは一日中会わないなんて日も少なくなかった。

学校は基本的に平日しかないが、教員にとって土曜日は金曜日の延長でしかない。金曜日に生じた何かしらの問題を、教員間で報告と共有をするための日だからだ。
なので休日は日曜日だけ。

私の父はそんな貴重な日曜日をじっくり好きなように過ごすのである。仕事病なのか年齢のせいかわからないが、朝は5時には起きる。
そして午前7時には朝食を済ませ、母の淹れてくれる珈琲で一息つく。午後には好きなスポーツや教養的なテレビ番組を見たりする。そして、またいつもの多忙な日常へと戻る日々をループしている。

こうしてみると、私と父は何の話をしてきたのか、あまり思い出せないのも不思議ではない。母親は、父と同じように教員をしているが、父よりは会話も交流も多かった。最近では、母は1人暮らしの私のために色々と送ってくれたり、LINEでも実家で飼っている猫の写真を定期的に見せてくれる。

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しかし、そんな母とは対照的に父が何もしてくれなかったわけではなく、父との思い出を振り返ると、あるエピソードを思い出した。

私が小学生の時、夏休み明け書道コンクールに提出するための宿題があった。
私は、特に字がうまいという特技はなかったが、字が下手だという劣等感もなかった。
だから、学校の書道の時間は、1枚を完璧に書き上げたらそれで十分だと思っていた。
そんな横着な私にとって、夏休みには書道の宿題を最低2枚提出しなければならず、私はどうしてもその2枚目を書くことを泣いて嫌がった。いつもは私の課題にまったく口を出さない父が、沢山書くように、と何度も言ったからだ。

今思うと本当に未熟で恥ずかしい子供だったが、そんな私を見かねて、父はコンビニに車を走らせた。そして、私にどのアイスが好きかを聞いて、グリコの青いパッケージのコーンアイスを買ってくれた。アイスの効果が活き、私は夏休み明けの提出に無事に2枚出すことが出来た。そして、書道コンクールでなんと金賞まで取ってしまった。
私はその時、金賞を取れたことを純粋に喜んだが、いま振り返ると父のおかげで、私は努力することを覚えたのだと感じた。

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こうして、私は、この春4年制の大学を卒業し、さらなる研究のために大学院生になった。
私の父は、もうすぐ還暦を迎え、じきに校長の座も降りることになるけれど、そんな父に私は何をしてあげられるだろうか?
日頃会話することの少ない父が、あの日私の書道の宿題を見てくれたように、見ていないようで私のことを想ってくれているという父の気持ちに応えられるような人になりたい。

会う機会も減り、メッセージも非対面のものが多くなってしまっている今現在、あえて伝えたい言葉がある。

「お父さん、あの時書道を見てくれたことを覚えていないかもしれないけど、私にとってあの日の記憶は、お父さんが私のお父さんでよかった、と思う思い出です。口数は多くないし、家にいないことの方が多かったけれど、それでも今の私がいるのはお父さんのおかげです。いつもありがとう。これからもよろしくお願いします」。