父は、サラリーマンで、家族のためにずっと献身的に仕事をする人だった。

私の家族は夫婦と子供2人。父は大企業のサラリーマンで、母は専業主婦。
私が生まれた時から、都内の品川区の一軒家で過ごし、私は“お嬢様学校”といわれる私立一貫幼稚園受験。兄弟は“おぼっちゃま学校”といわれる私立一貫の小学校受験だった。幼稚園や小学校の時から制服を着て電車で登校して……、世間一般からすると、裕福な恵まれた家庭環境だったと思う。

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営業マンだった父は、いつもとにかく外で仕事をし、家事や育児は、母のワンオペだった。
そんな忙しい合間をぬって、職場から遠い、私の通う小学校に、ある日1人でスーツ姿で授業参観にきた父。教室に父がいるのが慣れなくて、私はどこか緊張した。
「なんで算数間違えたの?」帰宅すると、その日は珍しく父に叱られた。

また、小学校1年生のある時、私は友達とおしゃべりに夢中になってしまい、帰りの電車の中にランドセルを置いてきてしまった。仕事終わりに、終点の駅に寄って、無言で私のランドセルを持ち帰ってきた父。
小学校高学年になると、私は文芸部に入り、毎週エッセイを書くようになった。父の部屋のPCで作業していたので、たまにPCに残った私の原稿を読んでは、「いいタイトルだね」と時折、コメントをくれたりした。

夏休みには、小学校1年生の時から、フィジーやハワイ、グアムやバリ島など、父も含む家族4人で5泊6日で海外旅行に行ったりした。誕生日や習い事での入賞記念以外で、父と過ごす……というのは、こういったイベントや非日常であることが多かった。

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専業主婦で手のかかる幼い兄弟を四六時中ワンオペ育児していた母と、家族のために出世を目指して四六時中会社で働く父は、私が小学校低学年の時は、喧嘩しているのを何回か見かけた。いま思えば、「火星から来た男、金星から来た女……」ということかもしれない。
自分が大学で留学するのにあたって、父の源泉徴収票を見るまでは、自分が社会人になるまでは、家ではずっと母の尻に敷かれていた父の貢献や社会的成功にはほとんど気づかなかった。
それくらい、私は母と過ごす時間が多かったし、同性なのもあって母の方が話しやすかった。

両親をみると、時々、なぜ、結婚して家族を持つと、「夫婦として」のお互いへのリスペクトが無くなっていくんだろう……と思うことがある。
父の仕事の社会的成功のおかげで、私たち家族は都内で広くて便利で快適な家に住め、世間から「すごいね」と言われるような、ずっと私立一貫の教育環境で育ち、いまの自分や環境があるのだ。
私も兄弟も社会人になり、父の社会人人生での功績の凄さは、身に沁みて実感している。だから、父の日も、その娘としてきちんとお祝いしようと思う。社会人になって、もうすぐアラサーを迎える今、今後、仕事について父と一緒に話をするのを楽しみにしているし、定年退職後は、自分らしい生活を送って欲しいと思っている。