父親という存在は子どもにとって手本であったり、人生の先輩であることが多いのではないだろうか。だがうちの場合はそうではない。

私の父は二歳児よりもわがままな人間だ。若い頃はパチンコに溺れ、生活費は「俺が稼いだのだから俺のもの」と持って行ってしまうクズだった。母に喘息の症状が出ても素知らぬ顔をしてタバコをぷかぷか吸っていた。自分の思い通りにならないとキレて怒鳴ったり、物を投げて威嚇した。ここまでくるとただの厄介者である。
年老いた今も父は我が道を行っている。不摂生がたたり体のアチコチにガタがきて実年齢よりはるかに高齢に見える。訪問介護で来てくれるヘルパーさんにまでモラハラもしくはセクハラまがいの言動をするから始末が悪い。

母はそんな父でも結局離婚という選択をしなかった。ここまできたら添い遂げるつもりであろう。私からしたらスタンディングオベーションものだ。
子どもの頃はどこの家庭もそんなものだろうと思っていた。どこの家でも父親の顔色をって過ごし、「ダメ」と言われたらどんな小さなことでも通らないものなのだろうと思っていたのだ。しかし、それはうちだけの特徴で、周りとは異なることが少しずつ分かってきた。
周りを羨ましがっても仕方がない。ないものねだりは無駄な労力だと割り切るしかなかった。

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ところで、大学時代に心理学の小論文で夢のことを書いて提出したことがある。
当時、私は父に追いかけられる夢を頻繁に見ていた。夢の中で私は必死に父から逃げていて、二階のベランダから隣の家のひさしに飛び移り、庭に降り、柵を乗り越えそのまた隣の家の庭かげに隠れて息を殺したりしていた。

父はへらへらした笑顔を浮かべながらどこまでも追いかけてくる。捕まりたくない私はこれでもかと大ジャンプや壁登りをして逃げるのだが、夢の中の父は現実ではありえないような身軽さで追い続けてくるのである。

その夢は恐怖でしかなく、執拗に追いかけてくる父が本当に不気味で、目覚めたあとも不快感が残った。

小論文の中で私は「なぜこのような夢を繰り返し見るのか潜在意識の中で暴君である父親に対する拒絶の思いが夢となってれているのではないか」などと書いた。
生まれて初めて親を対外的に批判した。抑圧されていた心が解放されて気持ち良かった。

その小論には高得点が与えられ、お陰で心理学の成績は最高位の「秀」だった。父が役に立った珍しいケースだ。たまには良いこともあるものだと嬉しかった。

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前述は父が役に立ったレアなケースだが、基本的に父は嫌われ者である。
では、父の存在は無駄だったのだろうか?とても難しい問題である。父がこの世に存在したことの意義を真面目に考えることにする。

まず第一に、父がいたから私も弟もこの世に存在している。ああ見えてよく遊び相手にはなってくれた。小学生の頃、家の前でドッヂボールの投げ合いをしたのは楽しかった。ひょっとしたらあれのお陰で肩が強くなりソフトボール投げでクラスの女子の中で位という記録を残せたのかもしれない。けれども所詮位だ、位ではないところが中途半端である。

そしてちょうどその頃、父が真面目な顔をして私に言った言葉がある。

「どんなに頑張っても、そんなに秀でることはない。もっと周りには優秀な人がゴロゴロいる。だから疲れない程度に適当に抜いて生きればいい」

父はさも立派な教えだと言わんばかりの顔つきで喋っていた。が、なんてことないただの『怠惰のススメ』である。出来る限りポジティブシンキングで良いところを探そうとしたけれど、やっぱり残念な人だった。しかし目が離せない面白さは秘めている。