自分で言うのもなんだが、私はよく挨拶をする。
特に心掛けている訳ではなく、小さい頃からの習慣だ。最初は母親に促されて挨拶していたのだろうが、挨拶をすると相手が微笑んで返してくれることが嬉しくて、進んでするようになった。
思春期になると挨拶をしなくなる子も多いが、私は全く関係なかった。よく挨拶をするので交通指導員さんや近所のおじさんおばさんに顔を覚えられて、お話することも多い。小さい頃の人見知りはどこへやら、いつの間にか誰とでも話せるという特技を身につけた。
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だが、私のコミュ力は突然影をひそめる。周りがそうだったから、という理由もあったかもしれないが、主な理由は小学校最後の担任の先生だった。
その先生はお気に入りの生徒とそうでない生徒を作る人だった。基準は明確。自分に従順かそうでないか、だ。
そんなことに全く気づかなかった当時の私は、先生に意見を臆することなく言っていた。そうしたら、生まれて初めて、大人に嫌われた。
接し方が他の子と違うことにすぐに気づいた。もともとおっちょこちょいな性格だったので宿題を忘れることがあったが、その時の怒鳴り方が尋常ではなかったり、お気に入りの子なら何も言われないような些細なことで叱られたりしていた。
小学校5年間先生に評価され続けていた自慢の自主学習を否定された時には、人格まで否定されたようで辛かった。
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そういえばその先生は、特殊な挨拶の指導をしていた。朝教室に入る時に、入口から大きな声でクラスメートに挨拶をするというものだ。特定の誰かに挨拶をするのではない、言わば形式だけのやらされる挨拶。
相手に誠意を示してコミュニケーションを図るという本質を見失った挨拶を推進していた人だったから、全体をまとめることを重視しすぎて生徒一人一人に向き合えていなかったのかもしれない。まあ、私と合わなかっただけかもしれないが。
意見を言うことを禁じられ、周りに合わせることを強いられていたら、自分の考えを表現することが怖くなってしまった。みんなと違っていたら、変なことを言っていたら、どうしよう。また嫌われるかもしれない。誰と話していてもこの恐怖が拭えなかった。
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転機は高校生の時。大学のプログラムで何度か研究室にお邪魔させていただいていた教授。会う度に笑顔で挨拶をしてくださることがすごく印象的だった。
そんな教授とお話した際、自分の考えを言うよう求められた。恐る恐る言ってみると、
「それ、すごくいいじゃん!」
笑顔であっさり肯定された。
これまでも意見を肯定されたことがなかった訳ではないが、なんだか教授の笑顔と言葉に救われた自分がいた。あ、言っていいんだ、と。
今でも人に意見を言う時、不安がない訳ではない。友達の意見に反することを言う時、誘いを断る時、感じた違和感を伝える時、などなど。
それでも、会う度に明るい挨拶を交わせる子たちだから、きっと大丈夫。そう思って、今日も「おはよう!」。