私には、忘れられないあいさつの思い出がある。
あれは、大学院生の頃だった。大学を卒業して、就職をすることなしに「もっと勉強したいことが残っている」なんて言って無理矢理ギリギリ入った大学院。
「もっと勉強したいことが残っている」のも嘘ではなかったけど、いま思うと目に見える形で周りとの差がほしかったんだと思う。モラトリアムの中でもがいている自分を演じたかったんだと思う。
◎ ◎
大学院という場所は、そんなふんわりした自分が通うにはあまりにも過酷すぎた。
シンプルに授業についていけない。何を言っているのかわからない。
さいわい、他の院生仲間は親切すぎるくらい親切だったから、みんなに頼りながらなんとかしのいでいたが、必死になって授業にくらいついたことなんてなかったから苦しい時間ではあった。親切すぎる仲間の存在が逆に苦しいときもあった。
ついていけない私を誰かが待っていてくれるわけもなく、大学院という場所では論文を書かないといけない。ほしい資格があったから実習にも出ないといけない。どんどん私は追い詰められていった。
大学院はたった2年の在籍なんだけど、その2年でやらなきゃいけないことが多すぎる。個人的には4年くらいかけてやりたいことが2年間に凝縮される。
そして、付け焼き刃や一夜漬けなどでは到底太刀打ちできないようなものばかりだし、そういったごまかしは通用しない教授陣だった。否応なしに、物理的な課題と、自分自身と向き合い続ける時間となった。
◎ ◎
大学院修了から数年が経ち、ようやくほどよい距離感で当時のことを振り返れるようになった。当時は精神的に参っていて、抑うつ状態になっていたと思うし、最近までは思い出したくもない記憶として封印していた。
どうして当時私が生き延びられたのかと考えたとき、理由として思い浮かぶのはひとりの同期の存在と、その同期と交わしていた挨拶だった。
その同期はピーちゃんという。優しくて、気が弱くて、いつもおなかを痛くしていた。 ピーちゃんは頭が良くて、授業や実習の成績はよかった。でも彼女は彼女で教授との関係や論文で取り扱うテーマなどで長く苦しんでいた。
先に苦しくなったのはピーちゃんだったと思う。毎日LINEで「明日行けないかも。もう学校辞めようかな」と連絡してきた。私は毎日「私ももうつらい。休みたい。辞めたい」と返していた。
毎日LINEでそうやりとりしていたけど、お互い実際に休んだことはなかったし、辞めずに2年で修了した。でもそのときは、ピーちゃんが本当に辞めちゃったらどうしようと心から心配だった。自分も自分で余裕がなかったので、自分もいつ辞める決心がついてしまうか心配だった。
◎ ◎
そんな中、私たちには自然と毎日交わす挨拶があった。
「おはよう。生きてるだけで今日もハナマルだよ」
今日もあなたと会えたことが嬉しい。今日もあなたが居てくれるだけで嬉しい。
どちらが言い出したのかは覚えていない。でも、もはや合い言葉のように、私たちは毎日この言葉を言い合っていた。
「また明日ね。生きてるだけで今日もハナマルだったよ」
「発表おつかれ。生きてるだけで今日もハナマルなのに発表まで頑張ってえらすぎない?」
「気にしなくていいよ。生きてるだけで今日もハナマルなんだから」
いろいろな進化形がある。
やっぱりこの言葉なしに大学院時代を思い返すことはできない。私たちを2年間支え続けてくれた挨拶。私はいまもこの言葉をたまに唱える。
「たまに」は嘘。ほとんど毎日。
そして、ちょっと苦しそうにしている友だちや仲間に挨拶代わりにこの言葉をかける。
挨拶であり、合い言葉であり、座右の銘である。
生きてるだけで、今日もハナマル。