「きみは本当に何も知らないね」と、父は私によく言った。

それは大抵、世間話の延長でニュースや、歴史の話になった時。「そもそも前提として」「過去の事例を挙げてみれば」という会話の流れになると、私には知識がないので、往々にして話が広がらなくなる。そういう時に父は穏やかな笑みを浮かべて、件の言葉を口にする。

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幼少期は、これを言われると話がそこで終わってしまうので「好きじゃない」と感じ、思春期は強烈なうっとおしさを覚えた。現在29歳になった私はというと、「ああ。父だなあ」と、これは別に湿っぽい嫌悪ではなく、こざっぱりと諦めるようになった。

父は、ほとんど自分の話をしない人だった。だから、どんなルーツがあって、父親になる前にどんなことを考えていたのか、学生時代の私はほとんど知らなかった。把握していた父の過去といえば、母が口癖のように言った「福島の田舎生まれ、貧乏なくせに男だから家のことをしてこなかったお坊ちゃん、早稲田卒を鼻にかけてる生活力ゼロのろくでなし」というくらいのことだ。本人はそれを面と向かって言われても、ヘラヘラと笑っていた。

実家で過ごした日々の中で、時折父という人間について知る機会はあった。ただそれは、脳内でうまくパッチワークのようにはならず、随分と長い間「優しげで何を考えているか分からない人」という印象を抱いていた。話は一瞬逸れるが、この印象は、私にそっくり受け継がれているように思う。

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先日、物心ついてから初めて、還暦を過ぎた父と二人で福島へ墓参りに行った。顔も覚えていない父の母、つまり私のおばあちゃんの墓を掃除し、手を合わせた。父の幼馴染だという人が家に招待してくれ、二人が思い出に花を咲かせる横で、私は遠慮なく福島の名産品と日本酒を腹いっぱいに詰め込んだ。

林と田んぼしかない、がらんとした田舎町で育った父。それなりに友達がいて、運動部に入っていて、勉強もそこまで嫌いじゃなかったらしい。NHK特集「シルクロード」を観ていたく感銘を受け、歴史オタクとなった。それから、まだ学生だった頃に父親を亡くして、色々なことを自分で判断してきた。さして心優しくもないのに、波風立てずにその場をやり過ごそうとするのは、物事をスムーズに完遂するための処世術だったのだ。そして、おそらく田舎から出るためもあって、早稲田大学の国文学科に進学した。見聞きしたことが繋がって、脳内に父の像が出来上がっていく。

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勉強を頑張った父にとって、学びは救いだった。豊富な知識を持っていることは、喜びだった。

だから「きみは本当に何も知らないね」と笑う時に父の中にあるのは、娘への落胆ではなく、娘が何かを知ろうとする、語ろうとすることへの、純粋なる慈しみなのだろうと思う。

自分がまだ何も手にしていなかった学生時代に、知識で溢れる空に手を伸ばし、上半身を浮きあがらせるため、目一杯水底を蹴っていた自分と、娘を重ねているのだろう。それでも、「もっと知識をつけなさい」と叱責されたことは一度もない。ただ一度だけ、私が大学ではなく専門学校に進学すると決めた時、寂しそうに「行けば良かったのに」と呟いたことがあった。

ようやく、父のことが分かりかけてきた。とはいえ父に言わせれば、「きみはまだまだ何も知らない」のかもしれないが。