私は24歳のときに鬱になり、クリニックに通っていた。そもそもクリニックへ通うようになるまでは私が鬱になるなんてと本気で思っていたし、実際症状が軽かった頃は気分が落ち込むのも体調不良も全部甘えだと思っていた。
当時大学院生だった私は初めこそ気合だけで授業を受けて研究をしていた。でも、だんだんと大学に行くことさえままならなくなっていった。身内に鬱になった人がいる友人はその時の私を見て、「絶対病気だから病院に行こう」と言った。正直何言ってるんだろうと思った。予約までしてくれたので、仕方なくクリニックへ行った。
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いくつかの質問に答えていって、先生には当然病気だと告げられた。私にはどうしてもそれが信じられなくて「そんなわけない」と言い返した。当然結果が変わることなんてなくて、鬱だと書かれた診断書をもらった。そのまま大学に提出した。
もうどうしようもなくしんどくなっていた私は、そこで大学院を辞めることに決めた。担当してくれていた教授には止められたけど、この先大学に戻って研究をするビジョンがどうしても湧かなかった。もちろんこんな形でアカデミックの世界から離れることになるのは悔しかったけれど、当時の私は本当に限界だった。
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本当に毎日毎日起きている限りずっと死について考え続けた。眠れないし寝てもすぐ起きるから睡眠薬を飲んでなんとか一日に3時間くらい寝ていた。ケトルでお湯を沸かすことしかできなくて、一週間コーヒーとインスタントのスープだけで過ごした。クリニックには薬を飲みすぎないように週一回通っていた。少し多めにもらった薬は当然次に行く時までには全て無くなっていた。今考えても良く生きていたなと思う。
いつの間にかクリニックへ行く以外で外に出ることは無くなっていた。太陽の光を浴びたほうがいいことなんてわかっていたけれど、眩しすぎて辛かった。世界中で私だけががんばれていないことを突きつけられるみたいで苦しかった。薬が欲しくてなんとかクリニックにだけは行けた。先生はここまで来れただけでいいって言ってくれたけれど、そんなわけないといつも思っていた。
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何回目の診察だったかは覚えていないけれど、一番ひどい時と比べるとややましになった頃、先生にこんなことを言われた。
「歩いている間は人間ってそんなに深刻なことを考え続けられないんだよ。だから、歩きなさい。太陽が出ている時間に歩きたくないなら、夜でも雨の日でもいいから」
この言葉を聞いたとき、私は確かにと思った。クリニックに通う道中、歩きながら、先生に何を伝えるか考えることはあっても、死について深く考えるようなことは無かったと気が付いたのだ。なるべく人と会わないように狭い道を探して足早に下を向いて歩いていたけれど、それでも家で独りでいるよりずっと死とは離れていた。
その日の帰り道、踏み出した一歩がとても軽かったのを覚えている。病気が急に治ったわけではないし、しんどいままだけど、どうしても辛くなったときにどうすればいいかがひとつ見つかった。小さな一歩だけど、確かに私は3ミリ前向きになった。
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その日から少しずつ歩くことにした。近くのコンビニまで、喫茶店まで、本屋さんまで。そうして歩き続けて、クリニックへ通って、半年後には限界状態は脱したと思う。振り返れば短いけれど、もう二度と戻りたくはない。今でも本当に元気だったころと比べたらかなりエネルギーは無くなっている。できることも少なくなった。それでも、そこそこ楽しく生きている。それだけで十分だと思う。
わたしは生まれ変わったんだ。きっと。あの苦しかった日々の中で一度死んで、もう一度この世界を歩き始めたんだ。あの日踏み出した一歩は、今の私を許すために、今の私を愛するために、そして、この世界に新しく産声を上げるために踏み出した一歩だったんだ。3ミリ前を向いて歩きだしてくれたボロボロだったあの日の私に、今幸せだよって伝えたい。