かがみよかがみというエッセイ投稿サイトを何で知ったのか、今では全く思い出すことができない。
きっとネットサーフィンをしていたら何かの記事にヒットしてそれを読んで自分も書いてみたいと思ったのだと思うけれど、初めて書いたエッセイは1人暮らし中にバイトを3日でクビになるくらいに調子が悪かった頃のもので、記憶がスッポリ抜け落ちてしまっていて分からない。
今読み返すとものすごく恥ずかしく、顔がリンゴのように赤くのぼせてしまうような出来だったが初めて書いたエッセイを採用して頂いた時はそれは喜んだ。
それから4年が経つ中で、依然として社会に迎合することができず無職ではあるが持病が増えたり精神病院に入院したり、人と出会って別れたりをしながら、その人生のアップ&ダウンをエッセイに書いてアウトプットをさせてもらってきた。
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昨年の暮れから社会復帰を目的に福祉の支援を受けながらB型作業所に通った時期も2ヶ月ほどあったが、私の物事の続かなさは異常。やはり続かなかった。
物事への真剣度合い・真摯さというのは、知的な能力の高低は全く関係がないのだということをこの作業所での経験の中で思い知った。知的にハンデを抱えていても作業に真面目に取り組み、長期的に続けられる人もいれば私のように知的に問題はなくとも真面目に作業しているかのように見えてすぐに投げやりになってしまう人もいる。
本当に元々の性格・性質なんだなぁと思った。
そんな私でも、唯一続けられているのが自分の言葉で文章を書くことだ。
思えば幼稚園の頃から日記を書いていた。
「◯◯ちゃんのおうちにいって◯◯をした」
など至極簡単なことだけれど、その日に何があったかを自分の言葉で記録することが好きだった。先日クローゼットを掃除していたら、当時のノートが出てきた。ピンク地のゾウさんの総柄ノート。
中学校でうつで病んでいた時も毎日日記を書いていた。それが時を経てエッセイという形態へ進化して、このようにして人様に見てもらえるようになった。
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2024年に入ってから半年が経つ。今年はエッセイも書きながら、初めて小説の執筆にも挑戦した。6作書いて、全て何かしらの賞に応募してみたものの、全く自信はない。
短編〜中編のごくありふれた、ありきたりなストーリーだ。没頭しすぎて気がおかしくなるんじゃないかと思った時もあったけれど、それでも新しいことに挑戦するというのに意味があるんじゃないかなと思っている。
何の期待も何のてらいもせずにいられたらかっこいいのだけれど、何事にも期待しすぎるからこそ悩み苦しむ。自信はないと言いつつも、「もしも受賞しちゃったらどうしよう」「受賞コメント今から考えておかなきゃ」などという妄想が頭の中を支配し、無駄とも言える準備をせっせこせっせこしている。メモ機能に受賞コメントを用意している、早とちりせっかち女だ。
初めて書いて初めて応募するのにそんな期待をするのが間違っているのなんて、百も承知なはずなのに。
これからの私が楽しみだ。最初は3ミリ、次は3センチ、最終的には3メートル。変化してゆく。暗くどんよりとした地下のトンネルから少しずつ上昇し、陽の差す地上へと上がっていく人生の様を、生活という日々の営みを通してぼんやりと眺めていようと思う。