「こんにちは!」

その一言が、私が茶道を始めるきっかけだった。

私立中学校に進学した私は、知り合いのいない教室で、しばらくクラスに馴染むことができなかった。朝、教室に着いておはようと言い合う子もいなければ、お昼を誰かと一緒に食べることもない。時々、家に帰るバスの窓越しに見る、歩いて帰宅している楽しそうな小学校の同級生の姿が懐かしくて、羨ましくて仕方がなかった。

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そんなある日、担任の先生にお茶室においでと誘われた。先生は茶道部の顧問だった。入りたいクラブも特になかった私は、先生に促されるまま、お茶室の引き戸を引いた。

中には2つ3つのささやかな飛び石があり、周りには綺麗な砂利が敷き詰められていた。とても学校の中とは思えなかった。そこだけ世界も流れる時間も、なにもかもが違った。飛び石を渡ると、そこには10畳ほどの茶室があった。

どうしたらよいものかと目を泳がせていると、私に気が付いたお茶の先生がこんにちはとにこやかに挨拶をしてくださった。続いて、お稽古をしていた先輩方も、手を止めて、私の目を見て挨拶をしてくれた。

ただのこんにちはだった。でも、その時の私には、初めて会う低学年の女の子1人を、こんなにも和やかに、温かく歓迎してくれたことがむず痒くて、とても嬉しかった。

茶道部を見学させてもらって、帰る時、「さようなら。またいつでもおいで」と、またもにこやかに言ってくださったのを聞いたとき、私は茶道部に入ることを決めた。

そうはいってもやはり、茶道の作法や所作は、初心者の私にとって簡単なものではなかった。まず、歩き方から注意された。右足を半歩出して左足をかけてと逐一言われて、いつの間にか訳が分からなくなって手と足が同時に出たり、おっかなびっくり歩いたりした。

けれど、少しずつお点前を覚えていくと、点と点が繋がる瞬間がいくつもあった。そうやって、何かに気がく度、私の視界はより透明に澄んでいく感じがした。

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大学生になって、誰も知り合いがいない場所に住むようになった。クラスという概念がない大学では半強制的な仲間意識ももなく、みんなはごく自由に、学籍番号の近い人や、同じサークルの人達と薄っぺらな仲の良さを作り上げていっていた。

初日から下の名前や、あだ名で親しげに呼び合い、あまつさえ軽口をたたき合ったり、一緒に旅行に行く約束をしたりしている彼らが、私には不気味で仕方なかった。

そこから逃げるように私にとって適度な距離感を保っていると、大学生活3年目になっても、いまだに顔だけ知っていて、すれ違い様に「やっほー」、「おお」とか言うだけの、いわゆるよっ友ばかりができた。
別に簡単な挨拶しかしない人ばかりでも寂しくはない。大学生なんてそんなものだと思っている。

でも、私にとっては、あの時、あの茶室で言ってもらった屈託のない「こんにちは」があまりに鮮烈で忘れられない。欲を言うならばいつか、大学内でも何を取り繕っているわけでもない、心からの澄んだ挨拶ができる関係性ができたらと淡く願っている。