看護学校の頃の友達と一年半ぶりに会った。
「久しぶり!元気だったー?」
近況報告が始まる。友達がしゃべる。
「わたしね、彼氏と同棲してるよ。彼氏、医者なんだ」
わたしは、友達の彼氏のスペックに慄く。
「いいね!同棲楽しそう!彼氏、お医者さんなんてすごいね!」
慄きながらも笑顔で相槌を打つ。
友達がわたしに質問する。
「⚫︎⚫︎は、どうなの??最近、恋愛の方は?」
わたしは、入籍していた。けれど彼女の彼氏に比べて一般的な旦那のスペックを言うのを憚り、入籍していることまで言うのを憚った。
「うーん、まあまあかな」
◎ ◎
わたしは、友達に質問を投げる。
「仕事はどう??」
友達は満面の笑顔で応える。幸せいっぱいの笑顔。
「今、救急で働いてるんだけどやりがいあるよ。今度、救急の資格も取りたいって思ってるんだ」
わたしは、回復期リハビリで働く自分と救急という花形で働く彼女と自分を比べてしまう。
友達は、毎日心肺蘇生に、医師の診察介助で忙しいと言う。休みの日も資格取得の勉強で忙しいと言う。わたしは、リハビリのための健康管理や退院支援の傍ら、おむつ交換やトイレ介助を繰り返していた。医師の診察介助は…あまり無かった。
休みの日は、資格の勉強などせず家事をしたり、本を読んだりとまったりと過ごしている。日々汚れ仕事をこなし休みの日は怠惰に過ごすわたしと毎日人の命を救い、休みの日まで勉学に励む彼女はわたしよりも何倍も充実しているように思え、自分を駄目だと感じた。胃が痛くなった。
「⚫︎⚫︎は、仕事どう??」
友達に質問される。返したくない。彼女に返せるほどの充実エピソードはわたしには無かった。
「…リハビリ病院で働いてるよ」
わたしは、少し黙った後、事実のみを答えた。
「そっか…」
友達が心配そうな、哀れむような表情をしたのをわたしは見逃さなかった。
◎ ◎
何か明るい話をしなきゃ!
「わたしめっちゃ夜勤入ってるよ!、夜勤、楽しいよ」
そう答えると友達は、明るい表情になり自分の話をまた楽しげに始めた。
これから、海外旅行に行く話、彼氏と広い賃貸に住んでいる話、自分の仕事のやりがいについて。どれも、わたしの生活とはかけ離れていて、同じ看護学校に通っていたのにもう今は遠い存在のように感じた。
職場の違いで、出会う人が変わり、年収が変わりわたしと彼女の間には大きな差異が生まれていると思った。わたしはそのあと友達の話をうんうんと笑顔で聞き、自分の話はあまりしなかった。
帰り道、猛烈な劣等感に襲われ突然涙が出てきた。自分の全てがダメだと感じた。
◎ ◎
家に帰ると、旦那がいた。
「おかえりー」
旦那は、洗濯物を畳んでいる。テーブルには、わたしのお弁当が置かれている。わたしの明日の昼食を作ってくれたようだった。
「友達とご飯どうだった?楽しかった?」
わたしに、話題を振ってくれる。
「うーん、まあまあかな」と答えながら旦那の隣に座りぎゅっとハグする。
わたしにはわたしの幸せがあったことを思い出す。わたしの大切なもの、旦那さん。わたしの大切なもの、毎日、自分を必要としてくれる仕事。
わたしは自分に問いかける。
あなたは、自分と友達を比較し劣等感を抱いていたけれどあなたは本当にお医者さんと付き合いたかった? 否、わたしは過去に医師に近いスペックを持つ歯科医師と付き合い、その傲慢さや家事のしなさ、自堕落な経済的観念に嫌気がさして別れていた。
彼女のように救急外来で働きたいか?それも否だった。わたしは、命の重さに恐怖を感じながら救命救急に走る救急外来ではなく、人の回復を支援できるリハビリ看護にやりがいを感じていた。
◎ ◎
こんなにもわたしは幸せで大好きな旦那さんがいるのに、そんな旦那さんまで卑下してしまっていたなんて。一般的な尺度で友達と自分を比較して苦しくなっていたなんて。自分が、自身で目の前の事象を理解することを放棄してしまった哀れな人間のように思えて悲しくなった。
目の前で懸命に洗濯物を畳む旦那を見ながらこれからは、「自分の目の前の幸せを大事にしよう」と心に決めた。今度、友達に会ったら見栄を張らず自分なりの幸せな現状を話してみようと思った。