小さい頃、習い事をいくつか経験してきた。
親に言われるがまま始めたピアノや英会話、友人に誘われて始めた水泳やダンスなど、これ以外にももう少しある。

わたしは人生の途中でこれらを”やめる”という選択をしたことを、未だに後悔している。

特にピアノについては、親から「あの時やめなければ良かったって絶対に思うよ。それでもいいのね?」と再三言われた。それでもやめたかったのだから、当時にしてみれば最善で最高の選択であり、それを認めてくれた親には感謝しているところではある。

だがやはり、大人になった今、「やめなければ良かった」と思っているのだ。ピアノに限らず、ほとんどの習い事、趣味、娯楽、スポーツに対してそう思っている。

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ダンスも、小学生の頃スクールに通っていたのだが、後の学校生活とダンススクールを両立することは不可能と判断し、やめてしまった。大学に入学した際に、再開を志してダンスサークルに入ったのだが、それも続かなかった。

そこにいた同期がとんでもなかったのだった。4年間この人に悩まされるサークル生活、もとい大学生活を想像してしまい、1か月でリタイアした。

サークルをやめたことについては後悔していないが、それを機に結局ダンスを続ける選択をしなかったことは未だに後悔している。

こんな具合にやめては後悔する人生の中でたった一つ、やめたことを後悔していないスポーツがある。
中学時代に約3年間すべてを注ぎ込んだ部活動である。

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中学時代は大災害に見舞われたり、家庭自体が大荒れしていたりと、何かにつけて不安定な日常だったが、部活動が一つの支えになっていたようにも思える。

別に運動神経は良くないし、大してうまくもないから、最後の大会もしょぼくれた結果だった。よく覚えている。後輩を困らせるほど泣いた。

あの日々のことは、もっとよく覚えている。

練習が嫌だからという理由でピアノを辞め、”選手育成コース”に昇格したは良いものの練習が厳しすぎるという理由で水泳を辞めた屈指の練習嫌いを誇るわたしが、毎日部活動に行って、練習ノートを付けて、帰宅後に自主練もした。

土日は外部コーチを呼び、朝早くから日が落ちるギリギリまで練習をした。休みはお盆とお正月合わせて1週間くらいしかなかった。
時々練習試合や遠征合宿をして強豪校にコテンパンにされた。コーチには背が縮むほど怒鳴られた。
毎日外で練習するせいで肌は真っ黒に焦げていた。日焼け止めを塗れども塗れども追いつかず、裸足でも真っ白の靴下を履いているようだった。

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同級生の選手に、小学生のころから習っていたというエースがいて、その子が絶対的存在だった。
かっこよかった。そして強かった。
かく言うわたしも彼女と同じポジションだった。

エースでなくとも試合には出ることができたので、エースになれない悔しさみたいなものはなかった

だが、彼女みたいに勝てない、戦えない自分のことが死ぬほど悔しかった。

彼女になりたかった。彼女みたいに戦いたかった。

だから、彼女の動きや戦法をとことん真似した。
後になってコーチにそれを話し「全然違うし下手くそだ」と言われたことに凹んだこともあった。

引退直前はかなり格上の相手に互角の戦いをしたり、時には勝ったりすることもできるようになっていたが、彼女にだけは完敗だった。

それがちょっとだけ悔しくて、でも誇らしかった。

文字通り命がけだった。
燃やし尽くしたのだろう。
灰も残らぬほど。

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あんな風に命をかけて本気で取り組むようなスポーツはもうないかもしれない。だからきっと、これからもなんとなくで始めたスポーツをいつの間にかやめて後悔している日々があるのだろう。

少なくとも今、数年前に買ったスキーウエアが1度しか着用されないまま押入れの奥で眠っていることにとてつもなく後ろめたい気持ちがある。

命を燃やして打ち込む距離感も好きだった。熱くて、愛おしかった。でも今の、たまに友達と河原でボールと触れ合ったり、恋人とランニングしたり、何年かに一度くらいのペースで冬にはスノボにいったりする、つかず離れずのこの距離感も心地よい。