父と話すとき、私は少し構えてしまう子供だった。
ひょうきんな所もあったが、基本的には控えめな父親で、穏やかではあったが、私が人を茶化したり馬鹿にすることがあると急に顔色を変え怒り始めた。
テレビを観ていて、政治家の発言に中学生の私が軽口を叩いただけで、そこから急に怒り出し、わかったような口を聞いたことをものすごく注意された。
当時はだから少し苦手だった。
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いやこの苦手意識は大人になってからも心の奥底でずっと続いていたのかもしれない。
私には5歳下の妹がいて、家庭内では完全にお姉ちゃん。父も私を名前ではなくお姉ちゃんと呼んだ。どこかよそよそしい感じがしてそこもまた苦手意識の何かに繋がっていたのかもしれない。
お姉ちゃんこと私は、家族の前で少しふざけて身の回りに起きた様々なことを面白おかしく話し、それを父は大層喜んで聞いてくれた。お姉ちゃんの話は本当に面白いなぁ、そんな風によく言ってくれた。
大人になり、顔色を伺いながらもちょっと偉そうな口を聞き、そんな自分と父との関係も嫌いではなかった。一度だけ、私が息子にあれこれうるさく言って、息子を蔑ろにしたとき、大いに叱られた。その時の気恥ずかしさはしばらく引きずった。
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去年の父の日、実家に遊びに行くと、父は少し前にひいた風邪せいなのか、声が枯れていて、私は心配より前になぜか茶化してしまった。今思えば、この頃から少しだけ目に見えない得体の知れない寂しさが家族を襲っていたのかもしれない。その小さな不安に押しつぶされないように、思いっきり冗談っぽく笑った。
その数日後、母から父の体調が悪く病院へ言ったと電話で報告を受けた。その日から心に大きな黒い不安が私達家族を覆った。そして、そこからさらに数日後。父に大きな病気が見つかった。私はすぐさま父の元へ行き、とびっきり元気に明るく、大丈夫大丈夫。と言った。
でも、あまりに大きな事実に父も母も私も泣いてしまった。
あの声もたまたま風邪で枯れたのではなく病気の影響だったのか、父はそれから全く声がでなくなってしまった。
そして、私は父に会うと泣いてしまいそうで、少しの理由を見つけては父と、そして不安な母に会いに行くことを避けてしまった。毎日の景色が全く違う日々だった。
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それからしばらくして父が亡くなった。
自分がこんなにも早く親を亡くすとは思わなかった。
お葬式で久しぶりに、父の弟である私の叔父に会った。父に仕草や顔がそっくりになっていて笑っては泣いた。
私と妹があまりにそっくりだと言うと、叔父は、兄貴に似てるなんて、嬉しいけど、もったいないよ。俺にとって兄貴は全て自慢の憧れの人なんだから。と言った。
そうか。そうだったんだ。あまりに優しく、純粋な父をちょっと頼りないななんて思ったことを後悔した。もっと早く気づくべきだった。私は父のことが大好きだった。
人を茶化す事を嫌った父の気持ちが今なら心底わかる。
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父がいなくなって初めての父の日。こんなにも寂しくなるなんて去年の私は知らない。存在の大きさにいまだに引っ張られている。遺影には少しだけ若くてかっこいい写真を選んだ。その笑顔があまりに良くて毎日その笑顔を見ながら寂しくなる。
お父さん、聞いて欲しいこと。たくさんあるよ。
声が聞きたいよ。