毎週金曜日の21時、かがみよかがみの公式アカウントからLINEが届く。新しく募集されるエッセイテーマが発表され、私はスマホのリマインダーに書き写す。

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2024年、募集される全テーマのエッセイを書いてみようと思い立った。2020年から時折心に迫るテーマが発表されると投稿してきたが、昨年の年の瀬、毎週エッセイを書いているかがみすとさんに出会い、テーマを問わずエッセイを書ける人もいるのか!すごい!と思ったことがきっかけだ。スマホのウィジェット機能で締め切りを管理するのもその方の受け売りで、5月末までの現時点で、毎週発表されるテーマの全てにエッセイを書いていた。

5月24日、奇しくも父の誕生日。いつものようにLINEを見ると、「わたしと『父親』」のテーマでエッセイを募集するとのこと。なるほど、来月に控えた父の日に向けてのテーマだろう。リマインダーに記録しながら、心に薄くもやが広がる。

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母子家庭で育った。家庭環境が変わったのは小学生の頃で、ギリギリ、父の日の作文とか、そういうものは書かされなかったと思う。4歳下の妹は、きっと幼稚園で「おとうさんのにがおえ」を描いただろう。重石に、なっていないだろうか。どうか、なっていないといい。

カーネーションがそこら中にまかれる母の日フェアが終わると、世間は父の日フェアに移行する。水色の背景に広がるポップな絵柄、ネクタイとか、ネクタイとか、ネクタイとか、あれ、世間は父の日に何をプレゼントするんだろう。ネクタイとか、ビールとか、温泉とか、そんな感じのイラストが散りばめられた広告を、毎年目を細めて見ている。

勝手にはじめた全テーマ投稿をやめてしまおうかと思った。別に誰にも頼まれていないし、義務でもない。それでもこの継続には意味がある。感情の爆発の連続で生きてきたような人生で、目標に向かって継続的に努力する、みたいなことが苦手だった。

途中で方針転換をして宙に放り出されたいくつもの軌跡が、一つ一つ心に積もって「継続が苦手」と自分を責める材料になっていた。誰かの成功を羨ましく思う度、私はまだ道の途中にある、継続した努力というものをしている最中であるという事実でまっすぐ立っていられた。しかし、今回ばかりは。

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父の日フェアがチクリと痛いこととか、小学校のときに好きだった気遣いのできる男の子に「お父さんって何の仕事してるんだっけ?」と聞かれ黙ってしまったこととか、ふんわり心を締め付けられてきた全部を思い出して、誰かのせいにしたくなった。私がかなしいのはあなたのせい。そう誰かを責め立てられたら、予後もマシだったと思う。どこかの誰かを相手にして、すねていることをつらつら書いてやろうとかそんな思いが浮かんだけれど、父は、わたしがそんなふうにすねていることも、腹をたてることも、悲しい気持ちでいることも望まないだろうと思ってやめた。どうせなら、笑ってほしい。

真正面からは、まだ書けないのだ。ひとりでは、扉を開けられない。きっと、3人姉妹が揃って、母の記憶があやふやになるとか、それくらいになってようやく開けられる。だから、きっと見守ってくれているだろう父に届くように、伝えたいことを念じようと思う。

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お父さん、誕生日おめでとう。毎日タスク管理をしている仕事のノートに、「5月24日(金)父、ハピバである」と書きました。LINEはできないけれど、毎年お祝いしてる。命日よりは、泣かずに済むから。いつもメソメソしてごめん。真正面から、顔を見られなくてごめん。大人になって母と話すと、こうしてあなたとも話したかったと思います。

いつも心の支えでいてくれてありがとう。母も姉妹も、そうして生きていると思う。どうか幸せで、健康でいてね。そちらで集合するとき、人生の終わりに1番の幸せが待っていると、当たり前のように思っています。