記憶の中の風景は夕暮れ時の風車。
カラフルなセルロイドの羽根は風を受けて回る回る。青、ピンク、黄色の原色が融合しやがてゆっくりとそれぞれの色に戻る。風に乗ってカタカタと小さな音を立てて回る風車。
飽きず眺める小さな女の子、それは60年前の私の姿。遠い昔の鮮やかな記憶。

風車を買ってくれたのは父だったと思う。が、長じるにつれ父とは疎遠になった。
長患いのしんどさを押して働く父は帰宅時にいつも不機嫌で家族は父の顔色をっていた。
そんな煙たい父とは距離があったが定年退職した後は好きな庭仕事をして過ごし、孫ができてからはとみに表情が柔らかくなった。

初孫である私の長女が生まれた時は目を細めて「ええ子じゃ」と繰り返した。私が子供を叱ると「怒っちゃるな(叱らないでやってくれ)」と言い、どの口が言うのだと思ったものだ。子供の頃、私と弟が騒ぐと𠮟りつけた父だったが人間かわるものだ。

それくらい父は優しいおじいちゃんになって「翁」と私はひそかに呼んでいた。その父は昨年4月に旅立った。

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中学卒業もそこそこに田舎から出てきてがむしゃらに働き無理がたたって腎不全になった。小学生頃の記憶ではむくんだ顔の父がむこうずねを圧して浮腫を確認する姿を思い出す。
その腎不全の治療が原因で致命的な大病をかかえてしまい、週3回の人工透析と共にあった父の人生。どんなにかしんどかったろう。今なら「お父ちゃん、しんどかったなあ」「ほんまによう頑張り抜いたなあ」と声かけるのに…父はもういない。

父を見送ってから気が付くと父と心の中で話していることがある。仕事や家族の悩み、体調の不安など行き詰った時は父ならどうするだろう?お父ちゃんは何て言うかな?そんなふうに思う。

頑固で気難しい父。曲がったことが嫌いでまっすぐに不器用にしか生きられなかった父。
それゆえ苦労も多かっただろう。時には手抜きをするぐらいの気持で良いのだ。

ピンと張りつめた生き方は自分だけでなく周りもしんどい。
そんな父の来し方を偲びながら自分も同じだなあと思う。

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父が亡くなる数日前に「…しくじってもな、しくじってもな…」と私に話しかけたことがあった。私は30を過ぎてから看護師免許を取り50歳前に離婚をしている。自分と同じ不器用な娘を案じていたのではないか。

父が亡くなる当日、病室で持参した熱い蒸しタオルで父の身体を拭いた。力仕事続きだった父の手は想像に反して驚くほど柔らかかった。握り返すこともないその掌に刻まれた複雑なしわは父の人生を物語っているようで切なさが溢れた。

この手が私たちを育ててくれたんだなあ。
やさしいやわらかな手。その時、はるか昔の光景を思い出した。

夕暮れに回る風車。父と手をつなぎながら片方の手に風車を握りしめていた。
どれだけ時間が過ぎても変わらないこと。
「しくじっても大丈夫だ、きっとやり直せる。」そう父は言いたかったのだと思う。
そう父は私に最後のエールを送ってくれたのではないだろうか。

ありがとう、おとうちゃん。