「なぜ走るのか?」
よく問われ、自分にもよく問いかける。 

私の趣味は、マラソン。走ることである。それを言うと、百発百中でこの質問を食らう。
一般的に、マラソンはつらく苦しいもの。自分だって苦痛を感じずに走っているわけではないからこのような疑問を持つ気持ちはとてもよくわかる。
たまに、大会やレースにも出場する。安くない参加費を払い、休日を返上し、走る。息があがり、身体の節々に痛みを感じ出すと必ず出場を後悔する。それでも、ゴール後には次に達成すべき課題を見つけているし、直近のレーススケジュールを確認して申し込みをするなどする。

なんやかんやでマラソンをはじめて1年ほどが経った。
それでも、「なぜ走るのか?」という問いについては答えを探し続けている段階としか言いようがない。別に理由なんて説明できなくたっていいはずなんだけれど。

◎          ◎ 

話は少し変わってしまうが、いま仕事でとってもうまくいっていない。
パワハラ上司がいるとか、給料が安いとか、そういうことではない。
専門職として仕事についているし、待遇はとてもいいし、人にも恵まれている。

それでも、いつもつきまとってくる「自分がやっていることに何の意味があるのだろう?」という疑問と「自分がいなくたって別に何も変わらないんだ」という不全感。
やりたかった、憧れの仕事についている。だからこそ感じる「こんなはずではないのに」という焦り。
自分がしたことによる目に見えるような変化がほしい。わかりやすく「あなたのおかげで」と感謝されたい。ひらたく言うとこんな感じなんだと思う。

自分がここにいる意味というものを感じられずに居続けるのは、けっこう苦しい。

◎          ◎ 

仕事がうまくいかなくなり始めたときに始めたのが、マラソンだった。
最初は、ダイエットをしたがっている友だちに付き合ってしぶしぶ一緒に走ったり、走っている友だちを自転車で追いかけたりしていた。そうしていたら、友だちはともかく自分の体重が少しずつ減り始めた。本当に少しずつではあったけど、棒グラフは右肩下がり。少しキツかったスキニーも頑張らなくてもすっと足が通るようになった。

続けて走れる距離も長くなった。家の近くのいつものランニングコースをまわって帰ってくるのにかかる時間も短くなった。ランニング用のアプリの「○日継続」の数字がどんどん増えていった。アプリからの励ましやお褒めの言葉も毎日浴びた。
友だちはいつのまにか走るのをやめていた。

とてもわかりやすく、目に見える形で数字が減ったり増えたりするのが面白かった。
走ること自体はしんどいなと思うことはあるけれど、それに付随するかたちでいろんな結果がついてくるのが嬉しかった。
文字通り、己の足でつかみ取った成果だなと思った。

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仕事でうまくつかみ取れない「やりきった感」を満たしてくれたのがマラソンだった。
おそらく人間は、目に見えるわかりやすい何かを探し続ける生きものなんだと思う。
だから人も、「なぜ走るのか」という問いに対する目に見えるような説明を求める。

その問いの答えとしては、ダイエットも違うし、体力づくりともまた違って、端から見るとわかりにくいふんわりした答えになってしまうけれど、私にとってのマラソンは「やりきった感を目に見えるかたちで与えてくれる大事なもの」なわけだ。

だからきっと今後もマラソンとは長い付き合いになる。
他のことで目に見えるような達成感を味わうことになればまた違うかもしれないけれど。