学校の算数も、中高での数学もまったくできなかった私にとって、「理系の道へ進む」こととは無縁といってもおかしくなかった。しかし最近では、女性ならではの身体の不調や、ホルモンバランスの乱れによる精神的な不調を診る女医さんを素敵だなあと思うようになった。明らかに文系に重きを置いている私には叶わない夢だろう。もし数学が理解できたなら、女医を目指していたかもしれない。

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そんな想いを巡らせるなかで、私は文系を極める面白さを得ている自信がある。理系を選ばなかった理由は、自分の好きなことを好きなように表現していく国語が得意だったし、好きだったから。今となっては、その国語が文芸へと広がる冒険の途中にいる。数学や物理、生物にもこうした冒険につながる時間は存在するはずだけれど、文系にしかできない「自分の好きなこと、もの、感じたものを表現してみせる」という行いに、魅力を感じているのだ。

しかしながら現実的なことを考えると、理系を学んだ方が手に職をつけるには最適に違いない。それでも理系ではなく、文系に身を置くという選択は相当な覚悟だといえる。まさに、冒険、いや大冒険である。この世の中で現実的か非現実的かを比べられるものがあるとすれば、理系か文系か」なのかもしれない。さらに、理系を学んでいる人、お医者さんや看護師さんなど医療従事者の方々は機転が利くし、頭の回転も速くて賢い。言わば「研究者」的なイメージがあると思うだが一方で、好きなことをとことん好きなだけ追い求め、突き止めることができる「研究」は、文系にだって存在するのだ。たとえば、文学作品ひとつをとっても、人それぞれ感じ方や捉え方は違うからこそ、それに対して「こうなんじゃないか、ああなんじゃないか」といった論文を執筆していくことが、文系における「研究」なのだ。

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文系を選んだ私、そうした研究をレポートとして提出しながら、卒業制作として小説を書いている。文系、あるいは文芸の世界は果てしなくて、いつの時代も奥深い。だからこそ、学びきるには相当な精神力と忍耐力が求められるのだと、藝術大学に入って四年がたった今私は思い知らされている

「楽しい」と思える余裕はないようで、ある。学ぶことは理系でも文系でも、とてもエネルギーのいること。それは、誰だって十分承知だと思う。特に文系には、「文芸」という表現の世界があるからこそ、研究職とも捉えられる理系とは、また奥深さが違い、だからこそ面白いと私は思っている。この、文系にしかない果てしない表現の世界に身を置きたいという思いが、私が文系を選んだ理由のひとつなのだ。

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では、文系で学んだことが社会でどう活きるのだろうか。これはさきほど述べた、現実的か非現実的かということと重なるはずだ。小説を書くことは、社会において実践的ではない。小説家になれたら、また話は違ってくるけれど、一生を小説家として全うできる人のほうが少ない。だからこそ、「文系で学んだことが社会でどう活かされるのか」と無意識にも考えてしまうのだと思う。

しかし、数日前ストーリーテラーという職業を私は初めて知った。これは、とある商品にたいして顧客が買いたくなるような物語をつくりだすことで、マーケティングを円滑にする職業である。商品にも特別な物語があれば、手に取ってもらいやすくなる。このまえ、自分のお店を構えるパティシエとストーリーテラーが二人三脚で、お客様に最上級のスイーツを提供するという小説を読んだとき、これこそが文系で学んだことを活かせる職業だと感動させられた。文芸の力が直接社会に貢献できる職業があることに、私は気づけば期待を膨らませていた。

これも私にとって、文系を選んだ大きな理由だといつか胸を張って宣言したいものだ。