自分で決断したことは人生でいくつあるんだろう。そんなことを考える、27歳の夏。

最近、周りの人の人生変化が甚だしい。久しぶりに会う友達は、当然のように苗字が違う。世間は晩婚化だの出生率が低いだの言っているが、わたしの親友たちは、結婚そして出産着々と人生を進めている。

一方でわたしはというと、ご祝儀は一方通行、絶賛独身謳歌中。強がりではなく、周囲の変化に1ミリも焦っていない。

それは、わたしが決めた人生が、最近気にっているから。

◎          ◎ 

ここ2、3年、いままでの自分の人生をよく振り返る。いわゆる自己分析というやつ。

思えば昔から、「失敗すること」が苦手だった。だから、いつも母の言うことを聞いていた。そうすれば間違いのない人生だと思ったから。

合理的といば合理的だと思うが、自分の意思というものがほとんどないまま10代を生きてしまった。10代ではじめて直面する「受験」という壁でさえ、恥ずかしながらわたしは自分の意思で決めていない。

自慢ではないが、昔から成績は悪くなかった。学年順位は上位10%死守していたし、中3の三者面談では県内のトップ高進学にも問題ないと言われた。わたしはその当時も、じゃあその高校を目指そうかくらいの、能動さ皆無なアンニュイ系中学生だった。

よく生活指導に怒られた。けれども成績はよかったから、怒られても受け流していた。とにかく斜に構えた中学生だった。

◎          ◎ 

そして中3の夏、いきなり母が言った。「東京の高校に行くわよ」その時もわたしは賛成も反対もしなかった。今思えばなんて自我のない子供だろう。AIか?いや、AIですら何かしら反論するか。

まあよく言えば、「聞き分けのいい子」だったのかもしれない。幸い、内申点が悪くなかったおかげで作文と面接の推薦入試で、都内私立の高大一貫校に入学した。常識的に考えると、県外へ進学という異例のケースだったと思う。

高校では昼夜問わず部活動に明け暮れ、高校3年間は中学の頃とは打って変わって勉強はゼロ。最低限の成績を保ちながら、大学へ進学した。

そして大学4年間が過ぎ、就職活動の時期になった。

その時も「大手企業に行きなさい」母親からはそう言われ、わたしは何も思考することなく身の丈に合わない大手企業ばかり応募した。当然、学歴も経験も乏しく、バイト先の人間やら友だちたちと毎日飲み歩いていたわたしはバタバタと書類選考で落ちた。

そんなわたしを見兼ねてか、母が言った。「大手のグループ企業を受けなさい」そのアドバイスを基に、再エントリー。すると、大手メディア企業の関連会社から内定をいただいた。

しかし内定した職種内容は文系のわたしからは全く縁のない、理系職。それでも母は言った。「安定した企業に決まって嬉しい」と。あぁ、母が言うならこれでいいんだ。その当時わたしは本気でそう思っていた。

◎          ◎ 

大学を卒業した翌月、会社に入社した。予想はしていたものの、新入社員研修は地獄を見ているようだった。

親の安心を選んで入社した、何の興味もない仕事、長い研修、毎日の慣れない通勤。入社して早1週間、「もう辞めたい」と早々に同期へ愚痴を漏らしていた。そんな愚痴を電話越しに母にも漏らすと、新入社員は誰でも辛いものだからと言われた。またわたしはその言葉に納得した。自分の中に溢れる明らかな違和感を無視して。

研修が終わっても、その違和感は消えることがなかった。周りを見ると、同じ新入社員なのに友人たちは輝いて見えた。しかし、わたしの勤め先は、世間的に見て大手企業のグループ会社で、明らかにホワイト企業。自分の中の止まらない違和感と周囲からの評価が大きく乖離していた。

だからこそ、変なプライドが邪魔して、わたしはわたしの気持ちを誰にも吐露できなくなっていた。

◎          ◎ 

2年目、コロナウイルスが襲う。IT企業ということもあってか、即テレワークに切り替わった。1人暮らしの家。慣れない業務とPC。壁と話しているような毎日。嫌でも自分を見つめるしかなかった。

この違和感は仕事に慣れないせいではないと、自分の中で明らかになった。とはいっても、絶望的な不景気で企業はバタバタと倒産している。

どうすればいい?どこに向かえばいい?今、何ができる?そんな思いを毎日ぐるぐると巡らせ、ひたすら自分と向き合う日々が続いた。

では、新たに学ぼう。それは、自分の中で生まれてはじめて解決策を見出した瞬間だった。

この新卒で入社した企業で学んだこと、それいくら給与が良くてもわたしは好きなことで生きていきたい。今よりも給与は下がるかもしれない。でも、わたししか感じられない、わたしの意思を信じてみたい。

何より、もう母の決断ではなく、わたしが、わたし自身の決断を正解にしていきたい。自分の中の呪いを解いて、一歩新しい視点を生みだせた瞬間だった。

◎          ◎ 

そして今、わたしは広告会社のコピーライターとして働いている。働いていると、当然不平不満はつきものだが、以前のような不満はない。それは、転職という人生の一つの決断において、自分自身が必死にもがいて手に入れた結果で、自分で人生のハンドルを握りなおしたという自負があるから。

すると不思議。不満はあれど、「だって自分で決めたから」と、自分自身に納得できる。

同時に思う。同世代の友人たちは、10代・20代このような経験をたくさん積んできたのだと。わたしは、今まで大きな勘違いをしていた。親の望む生き方こそ正しい道だと。

だからこの文章を読んでいる方に伝えたい。自分の人生は、誰の許可もいらない。自分の決断に、成功も失敗もない。ただ、自分で決めるという決断こそが、人生の最大の財産で、自信の原点だと。そして、そっちの方がよっぽど鮮やかだ。

わたしはこれからも、波乱万丈な人生になると思う。でもその波でさえも楽しみながら、これまでの人生を取り戻すつもりでなやかに生きてみたい。

さて、今年は28歳。次はどんな決断をしていこう。わたしは、これからもっと今より新しいわたしを見てみたい。最近、そう心から思うから。