幼い頃から、よく旅行に出かけていた。
乗り物酔いで移動中はげっそりしていたけど、目的地に着けば美味しいものやキレイなホテルに高揚した。友達にお土産を渡すと「いいなあ、月ちゃんはいろんな場所に行ってて」と言われてから「これは当たり前じゃないのか」と気付いたくらい、毎年のように家族で出かけていた。
小学生の後半になると私や弟は習い事の方を優先するようになり、家族旅行は減っていった。

旅行のために生きていた私に訪れた変化。それでも非日常を楽しんだ

しばらく経って、地元を離れて暮らし始めた頃。自分でお金を管理できるようになり、半年に一度は旅行に出かけるようになった。
何度もテーマパークに行ったし、推しのライブが遠い土地であれば、数泊滞在して遊び回った。その土地の美味しいものや建物を観て回るのはもちろん、旅館で着る浴衣や新幹線で食べるアイスとか、店員さんや見知らぬ女の子が話す方言にドキドキした。飛行機や夜行バスに乗り遅れて肝が冷えたのも、今では笑い話だ。

人生にメリハリをつけてくれるのはいつだって「あと○日したら旅行だ!」というワクワク感だった。学校ならクラス替えや席替え、仕事なら誰かが入ったり辞めたりするけど、だいたい家と決まった場所を行き来するだけの退屈な日々。私は、旅行のために生きていた。

2020年、退屈な日々に変化が起きた。旅行どころか、近所の喫茶店にだって入れなくなった。仕事ではイレギュラーな業務が増え、友達とも家族とも会えない連休が続いた。
しかし、突然やってきた「非日常」を、だんだん私なりに楽しめるようになった。コーヒーを豆から選ぶようになったり、自宅に居ながら好きなアーティストのライブが観れるようになった。

旅行以外に人生の彩りを見いだせなかった私は、今も変わらず息をしている。案外、遠くに出かけなくても良いらしい。

テーブルに置かれたメッセージカード。父が立案した今回の旅は…

世の状況が落ち着いてきた先日、家族と久しぶりに小さな旅行に出かけた。行き先は県内の温泉が有名な土地で、幼い頃によく来た馴染みのホテルに泊まった。
部屋に着くと、テーブルに1枚のメッセージカードが置いてあった。

『結婚記念日のお祝いのご旅行に当ホテルをお選びいただき、誠にありがとうございます』
母がカードに気づくなり言った。
「あー、今年は結婚30年目だったの。だから夏くらいに『旅行に行こう』って言い始めたのねえ。ほら、7月が結婚記念日だから」
「へえ、お父さんやるじゃん」
思い返すと、「社会勉強になるから」と幼い頃にキャンプや旅行に連れ出してくれていたのはいつも父だった。今回の旅行も彼が立案者である。

温泉でゆっくり疲れを取った後、ホテル内のレストランで懐石料理を食べた。
食事の前に、スタッフが「この度はおめでとうございます」と、大きなフラワーアレンジメントを持ってきた。

ピンクを基調とした色とりどりのそれに、母は嬉しそうに微笑んだ。
少し強面で、口数の少ない頑固な父が、何故この旅行を計画したのか。そしてどんな気持ちで花屋さんに連絡したのかを考えると、目頭が熱くなった。
「ほら、少し前に聞いただろ。1万円あったら何が欲しいかって」
「え、これのことだったの?急に聞くから何かと思った~」
そう言って笑う両親は、今まで見たことないくらい柔らかい空気を醸し出していた。

退屈な日々が、どれだけ大切なものかに気づくことができた家族旅行

私にとって旅は、退屈な日々を乗り越えるためのスパイスだった。しかし「退屈な日々」がどれだけ大切なものだったのか、ここ数年で痛感した。
住む家に困らないこと、食事を美味しいと感じること、誰かと対面で世間話ができること。大切な人が、長い間隣にいてくれること。旅のワクワク感が募る日も、なんの変哲もない日も、今の私には大切な人生の一部だ。

父は、日々の感謝や思いを伝える手段として、旅を選んだ。
今度は私から家族旅行に誘おうとおもう。