今の仕事は、中学生の頃から目指し始めてやっと就けた職業だった。

高卒での就職を視野に入れたり、アルバイトは大学入学前から始めて、アパレル、コンビニ、居酒屋も経験したり、それから夜の世界に足を踏み入れたり、教職免許を取るために教育実習なんかにも行ったり、"働く"に付随するようなことは結構色々やってみた。

それでもなんだかんだ、将来の夢、いわゆる”働く”ということを現実的に考えて初めて志したものを、わたしは目指し続けた。
そして現在、その職業によって生活をしている。

でも、社会人とは想像以上に辛いものだった。年目なんて大してやることもなければ、特別できることもない。会社にもなかなか馴染めない。なにをするにも初めてで、失敗体験だけが積み重なる。
慣れるまで何年かかかって、やっと仕事を楽しめていると思った矢先の、異動。また初めましての人、場所、業務。年目を繰り返しているようで疲弊する毎日。

それでもめげずに続けているのは、もちろん、この仕事をしたかったはずだからである。

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わたしが今の職業になろうと思った理由は、かつての恩師に「向いてるよ」と言われたからだ。かつて辛くて辛くてどうしようもなかった頃のわたしと同じような人の救いになりたいと思ったからだ。

そのはずだった。
そういう希望の下、未来に向かって走ってきたはずだった。

いざ、あの頃目指していた職業になって、業務を担って、身を粉にして働く。誰かの救いになりたかったから。
職業柄、他者だけでなく、自分自身と向き合う機会も必然的に多かった。
そうやって日々と自分を消化するうちに出会ったのは一つの絶望だった。

わたしは、苦しんでいる人を救いたかったのではない。
自分が救われたかったのだ。

日常が地獄になったあの瞬間から、あの場所から、わたしはずっと救われたかったのだ。

そもそも自分が未だに救われていないのだとしたら、他人を救う以前の話だし、この十数年間自分自身を客観視できていなかったということではないか。

じゃあ、この十数年間のわたしの人生ってなんだったんだろう。

言い表しようのない虚無。十数年って結構なことだ。

必死に這い上がった崖から一気に突き落とされた気分である。人生は過去に自分にかかった呪いを解いていく作業のこと、とはよく言ったものだ。
まず、その呪いに気が付かなければ始まらない。

あぁ、そうか。
わたしの人生ってやっと始まったところなのか。

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現実にも、自分が幻想を抱いて生きていたということにも、そしてお門違いな自分の理想にも、幾つにも重なる絶望の先で差し込んだ一筋の光は、希望になり得るだろうか。

たったミリ先が、果てしなく遠く見える
それでも、進むことはできるだろうか。

そしてあんなにも誰かを救うためにと目指した今の職業では、きっと自分自身は救えないだろう。

でもミリ進んだ先から見える世界を伝えることはできる。
だからこそ救える人だっているかもしれない
だからこの仕事はやめたくないと思う。たとえわたし自身は救われなくとも。
だからわたしはエッセイを綴る。わたしがわたしを救うために。
誰に読まれているかもわからない、もはや読まれてすらいないかもしれない。この言葉たちは、どこにも届かないかもしれない。

でも、救いたいのだ。
誰かのことも、自分のことも。