とあるアーティストの楽曲に桐箪笥をテーマにした曲がある。美しいメロディーの優しく、それでいて力強い歌声は言うまでもなく素晴らしいのだけれど、私は特にこの曲の歌詞が大好きだ。

主人公はある家に古くからある桐箪笥。桐箪笥といえば、日本では昔から女の子の嫁入り道具とされているけれど、この曲は正しく、小さな女の子が結婚して家を出ていくまでの父親と娘の物語を、桐箪笥の視点から歌ったウエディングソングなのだ。ミュージックビデオも感動的なので、ぜひこのエッセイを読んでくださっているあなたにも見てほしい。

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さて、私がこの曲を初めて聴いたのは2017年の夏。某有名ヴァイオリニスト主催の野外音楽フェスでのことだった。
それは、実力派アーティストたちの奏でる音楽と、かの有名なヴァイオリニストの演奏を野外でたっぷり堪能できる贅沢な音楽フェスで、私は学生の頃に母と何度か参戦したことがあったのだけれど、その年は職場の夏季休暇にたまたまフェスの開催日が重なったので、帰省ついでに両親を誘い、当時付き合っていた彼氏を連れて、父、母、彼氏、そして私の4人で、真夏の万博公園に足を運んだのだった。

彼と両親が顔を合わせたのは、その日が初めてだった。
職場の先輩・後輩として出会った彼はとても優しく頼り甲斐のある人で、彼を両親に紹介することについては何も心配していなかったけれど、唯一、彼と父の気質の違いを私は不安に思っていた。彼の出身地は私の地元・大阪からは飛行機の距離で、コテコテの大阪人の父と、東北の雪深い地域出身の彼は気質やノリがあまりに違っていたからだ。
「話が合わなかったら、お互いに気まずい感じになってしまったらどうしよう…」と、私はその点だけが少し心配だった。

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彼も父も大人なので、気遣い合いながらも当たり障りなく会話をしているのが私には分かった。こういう時、いつもの父ならここでジョークを飛ばすな、というところで、父がそのジョークを封印するたびに、私は内心、2人はお互いをどう感じているのだろうと、フェスの間中ずっと気を揉んでいた。
そしてフェス終盤、メインステージ・大トリを飾る主催ヴァイオリニストの演奏を残して、サブステージのトリとして前述のアーティストが登場したのだった。

大トリのステージをより近くで観ようと、会場にいる多くの観客はメインステージの前列方向に集まっていたため、私たち4人は思いがけず、サブステージの最前列に行くことができた。そしてそのステージで、ピアノの弾き語りで披露されたのが、冒頭で紹介した桐箪笥をテーマにした楽曲だった。

太陽が沈み、薄紫がかった真夏の夕暮れに響き渡る歌声。その優しい声で歌われる父と娘の歌に感動して、私が思わず右横にいた彼の横顔を見上げると…なんと彼は涙を流してステージを見つめていたのだ。
ステージが終わった後、「だって、あんな良い歌詞だなんて」と言いながら急いで目元を拭う彼の横で、いつも冗談ばかりなのに、その時の父は何も言わずに静かに私たちを見つめて微笑んでいた。

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彼はその後、私の夫になり、私の娘の父親になった。

私がかつて実家を出たように、娘もいつかこの家を巣立つ時がやってくる。その時、私はどんな母親で、夫はどんな父親になっているのだろうか。
あの日微笑んでいた父のように、いつかやってくるその時を笑って迎えられるようなあたたかな家族になりたい。腕の中でようやく眠った生まれたばかりの小さな娘と、私と同じように、寝不足の顔で娘の顔を覗き込んでは「可愛いね」と微笑む夫の笑顔を見るたびに、私はそう願うのだ。