物理を取ったのは、私と彼女だけだった。
三十人のクラスで、半分より少し多くの女子がいて、物理を取ったのは私と彼女だけだった。さらに言えばそもそもの理系選択者はクラスの半分より少なく、そしてその中で女の子だったのは六人だった。

生物を取った男子も少なかった。文系の男子も多くはなかった。それでも、私たちより遥かにましだったと記憶している。

夢やら目標やら強い関心やら、そういうものがあって進路を決めた子だってたくさんいた。だけど、そういうのが無いなら女子は文系で男子は理系じゃない?っていう空気で決めた子もそれはそれはたくさんいたように思う。
他のクラスと合同で授業をしていてさえ両手よりも少ない女子生徒しかいない理科教室。なんだかいつもちょっと薄暗くて、なんだか白っぽい空間だった。

あの教室の大半を埋めていた男の子たちは、そして隙間を空けて飛び地みたいに座っていた女の子たちは、どんな心であの教室にいたのだろう。

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二年間、数えきれないほどの数、一緒に移動教室へ向かった彼女の白くてすべすべした頬を思い出す。今あなたは、どこで何をしているのかな。
私たちはただ物理を取ったから一緒にいたようなもので、たぶん物理を選んだ理由も性格も考えも何もかもが違ったと思う。優しくて賢くて引っ込み思案なあなたが、物理を選んでちょっと変わった女の子になったのはどうしてだったの?いまだに私は何も知らないし、今となっては知る術も無いに等しい。

でもただ一つ、彼女も私も、妥協も諦めもしなかった、そういう女の子だったのだと、そういう確信めいたものはある。

結論から言うと、私は物理を取って工業大学に進学したけれど、欠片も才能がなかった。高校から大学、その少し先まで七年、八年あがいてあがいて、結局今は地元から遠く離れた都会で「文系」っぽいことをしている。

それは妥協と諦め半分だけど、諦めた理由は完全に才能の欠如の一点に尽きる。田舎の女の子だったからじゃなく、ひとりの自立した人間として諦めた。

ただ、今にして思えば、私が八年近くもあがき続けたのは、意地と根性で手に入れた自負があったからかもしれない。都会の工業大学に進学してちらほら出会った田舎出身の女の子たちは、みんな意地と根性でそこに座っていた。それはある意味、田舎の女の子であった私たちにとっての誇りだったのだ。

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大学で出会った友人のひとりは帰省から帰るたびに「絶対に田舎には帰らない。私は一生都会で暮らす。毎度会うたび親戚一同結婚の話ばっかりしてきてうんざりする」と吐き捨てている。私は幸いそういうことを言わない親戚に恵まれていて嫌な思いはしていないけれど、私の代わりに私の母が「娘さんは帰ってこないの?」と知人たちに言われてげんなりする役目を引き受けている。

もしも私たちが田舎の女の子じゃなくて都会の女の子だったら。あるいは女の子じゃなくて男の子だったら、私の友人や母はげんなりしなくて済んだのだろうか。ほんとこの辺の魚って不味いよねって悲しんでいる彼女が、地元で美味しい魚を楽しく食べられる、そういう可能性もあったのだろうか。

そういう疑問が頭をもたげるたびにやるせない。答えを知る由もないのに。

でもこのやるせなさを、今とこれからの田舎の女の子へのエールに変えよう。

あなたたちが座りたい席に、当たり前のように座ることを、心から祈っている。それはどんな席でも良い。田舎の女の子だからじゃなく、意地と根性で勝ち取るのでもなく、強張った顔をするのでもなくて。

座りたい席に座って、まっすぐに前を見つめられる、そういう未来であるように。