なんだ、私だけではなかったのか…。
『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治著・新潮新書)を読み終えた時、通勤バスの中であるにもかかわらず、思わずつぶやいた。
ずっとモノクロだった世界が、いきなりカラーに変化したようだ。新鮮な驚きと、嬉しい戸惑いがせめぎあう。どうしようもない気持ちで胸がいっぱいになる。
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『ケーキの切れない非行少年たち』の著者・宮口幸治は児童精神科医として、少年院に勤務するが、そこで出会った子どもたちは、これまで想像していたイメージとあまりにもかけ離れていた。
例えば、ホールケーキを3等分するとしたら、一般的にはベンツのマークのように刃を入れることが多いだろう。しかし彼らは違う。横縞のように切り分けたり、いきなり真ん中を切り、その後どうしていいのかわからず立ち往生する。
など、本職の精神科医でさえも考えつかないような突拍子もない行動に出る。他にも、単純な図形を模写することができなかったり、頻繁に見間違い・聞き違いをしていたりする。そんな事実から、宮口氏は彼らの見る力・聞き取る力の弱さに気がついた。
また、力加減がわからず水道の蛇口を取ってしまうといった極端なまでの不器用さが目立つ人が少なくないのも非行少年たちの特徴。他の人が普通にできることや理解きることを、自分だけが理解することができない状態が続くと、どうしても自己肯定感が低くなる。
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非行少年と呼ばれるようになった根底には、そんな認知能力の欠損がひきおこすと思われる知能の低さや発達障害が隠れていた。ところが、知的障害といっても、彼らのIQは、境界性知能やボーダーと呼ばれるものの、現在の基準では明確な障害ではない。
そのために、親や教師からは「がんばっていない」という受け止め方をされてしまう。周囲の無理解から、本人たちが法を犯すまで追いつめられていく葛藤。そしてその支援法・解決法をあわせて紹介している1冊である。
私自身は、犯罪歴・逮捕歴こそない。
とはいえ、この本に出てくる少年たちは、まさしく子ども時代の自分自身を見ているようだ。私も勉強・運動が極端に苦手だ。それゆえに集団生活に馴染めなかった。運動会で披露するダンスの振付を何度教わっても、なぜか私ひとりだけ覚えられず、突っ立ったまま。また、いつまでたっても九九が暗記できず、毎日居残りをする。など、どうして周囲の人が普通に理解できたり、苦痛なくおこなえることが、私に限っていつもダメなのか、ずっと不思議でたまらなかった。
しかし、両親をはじめ教師からはその苦しみをわかってもらえるどころか、逆に「努力がたりない」と言われ続けてきた。私がようやく九九を覚えた頃には、クラスメイトは分数を勉強し、やっと私が分数の掛け算・割り算までたどりついた時には、すでに教科書は因数分解が載っていた。一生懸命、追いつこうと休憩時間にドリルを解いていると、クラスメイトから指をさして笑われる始末である。
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結果を伴わず、努力だけをする姿を他人に見せると、何もしないよりもさらに馬鹿にされるとは…。授業が昼寝の時間に変わるまで時間はかからなかった。
社会人になってからも、物覚えの鈍さと、あまりの要領の悪さにあきれられ、たびたび解雇をされてきた。
だが今回『ケーキの切れない非行少年たち』そしてその続編『どうしても頑張れない人たち』を読み、不器用なゆえに誤解され、投げやりな態度をとったり、無気力になる人は、私が考えているよりもずっと多いことを思い知った。
ずっと自分自身に何が起きているのかわからず、誰も知らない月の裏側を歩いているような気持ちだった。にもかかわらず、月の裏にいる人がこんなに多いとは!