私が大学に入学して一番うれしかったのは「もう体育の授業を受けなくていい」と知った時だった。

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勉強はできるが、運動はからっきしのいわゆる「ガリ勉」だった私。
ソフトボールは6mしか飛ばせないのに肩がもげそうになるし、50m走を走ればスタートした瞬間にこけて、5年くらい治らない傷を膝に作った。

補講としてトレーニングルームの機械を使ったトレーニングを教えてもらった際は、どれもあまりにもできなくて、1時間バランスボールに乗っていることを命じられた。
それくらいには運動ができない。

個人競技に関しては、最悪できなかったとしても自分の成績が悪くなるだけで居残りをさせられるくらいで済むし、まだマシ。

勉強だってそう。
極論言えば、やってもやらなくても、できてもできなくてもクラスメイトに迷惑をかけることはない。

だがしかし、「体育」はそんな私を許してはくれなかった。
基本的に学校の体育では、相手がいて初めて成り立つような競技をすることが多かったからだ。

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先生の「はい、じゃあ2人1組作って~」は悪魔の言葉のように聞こえた。
先生にとっては「友達と組んでやりやすいようにしてあげよう」という優しさだったのかもしれない。
だけど私にとっては「あぁ、こんな奴と組まされる友達がかわいそうすぎる……自分から誘ってこの実力なの本当に申し訳ねえ……」と思いながら友達に声をかけなければいけない拷問だった。

バスケでパス練習をすれば、力加減も距離もわかっていないので届かないだけでなく、あさっての方向に飛ばす始末。
バドミントンでは羽とラケットの距離を見誤って全力の空振り。ラリーという概念が世界からなくなったのかというくらい一方通行になるので謝り倒しだった。
たまに人が足りなくて先生と組んだ時は気楽だった。
「この人は先生だもんね!出来の悪い生徒でもとりあえずいいよね!」と開き直って、とんでもない方向に思いっきりボールを飛ばしていた(もちろん故意ではない)。

私にとって体育は「運動をすることでしんどいうえ、友人に謝りに行く苦行」の時間でしかなかった。

そんなわけで体育から解放された大学時代を存分に謳歌し、社会人になった。
社会人になったと同時に、世の中はコロナ禍に突入。在宅勤務になった。
元々インドア派、体育アンチ状態の私は、全くと言っていいほど不便を感じず、出不精を極めた。

だがそんな日々も続きすぎると不安になる。

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「このまま身体を動かさなかったらやばくない?体力なさすぎてやりたいことをやれなくなったら困る!」と思った私は、ある動画に出会った。
筋肉芸人さんが家でできる運動をまとめてくれている動画だった。

簡単なように見えて実際にやってみるとほどよい負荷の運動が紹介されており、運動を全くやってこなかった私でもすんなり行うことができた。

丁寧に動きを教えてくれるので、理解しながら進めることができたし、途中で挟まれる「焦らず、自分のペースで!」「辛いときは笑顔で!」という声掛けに妙に励まされた。
この動画のおかげで「私って運動が嫌いなんじゃなくて、体育が苦手だっただけなんだな」と気づくことができた。

とりあえず見てやるしかない、時間がない、相手に迷惑をかけてしまう。
私にとってはこの3点が苦手要素だったのだと思う。

だから私から過去の私へ、声を大にして言ってやりたい。
体育は苦手なままでいいよ!一生懸命やってできないものは仕方ない!
だけど体を動かすこと自体は苦手じゃないっぽいから今の私が頑張っとくね!

人生は思ったより長いが、やりたいことができる時間はきっと短い。
やりたいことがやりたいときにできるように、今日も私は運動するのだ。