中学の卒業式のあと。片付けが始まった体育館の片隅で、私は担任の先生に思わず弱音を吐いてしまった。

「先生…高校生活も、楽しくなるかなぁ」

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しまった、こんなことを言いにきたんじゃないのに。ありがとうございました、と、高校生になっても頑張ります、と言いにきたのに。

つい口から飛び出してしまった弱音に居た堪れなくなって、俯いてしまった。そんな私に、先生はこう声を掛けてくれた。

「楽しくするんは、いつも自分自身や。大丈夫。失敗しても、死にはせん。お前ならできる」

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振り返れば、幼い時から春が苦手だった。

進学や進級、クラス替え。それに伴って新しく始まる人間関係。
うまくやっていけるのか、仲間はずれにされないか、いじめられないか…それまでの1年間が楽しければ楽しいほど、引っ込み思案で人見知りの私は、全てが強制リセットとなる春が恐ろしかった。幼稚園へはほとんど毎日行き渋り、小学生になっても、1年生の夏休みまで毎日泣きながら通学した。私は環境の変化がとても苦手な子どもだった。

中学に上がる頃にはそんな自分の性格も嫌というほど理解していたので、友達作りも、運動部での上下関係も、まるで元々そんな性格だったかのように…根明の人のようにふるまって乗り超えた。
正直、ストレスを感じることやしんどい時もたくさんあったけれど、そのおかげなのか、3年間、人間関係で悩むことはほとんどなかった。

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だから、余計に不安だったのだ。
3年間かけて、必死に築いてきた居心地のよい学生生活。それが、また0からになってしまう。

そんな私の不安や、気を張って気疲れしながら中学生活を送ってきたことに先生が気付いていたのかは分からないけれど、先生が私に贈ってくれた「楽しくするのは自分自身」「失敗してもいい」「お前ならできる」という言葉は、そのあと、高校や大学や職場で人間関係に悩んだ時、人生に漠然とした不安を抱いた時に何度となく思い出されて、その度に、私の心をいつもほんのりとあたためてくれた。

「楽しくするのは自分自身」。
特に、この言葉は何度も何度も心の中で呟いてきた。

例えば、どこにランチに行こうか、明日は何を着て行こうかなんて小さなことから、受験勉強や就職活動、結婚するのかしないのか、子どもを持つのか持たないのかなんてことまで、人生は大小様々な選択の連続で、何を選んでも、何を選ばなくても日々は進むし、私たちは生きていかなければならない。
それならば受け身でいるよりも能動的に、そしてなるべく自分が楽しいと感じる方へ進んでいく方が絶対にいいということに、この言葉で私は気付いたのだ。

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そうして私はここに辿り着いた。きっと他人から見ると、どこにでもいる平凡な32歳に見えるだろう。
でも、私には人生を楽しんできたという手応えがある。そして、これからもきっと楽しんで生きていけるという自信がある。

誰かに楽しくしてもらうのではない。私の人生は私が舵を取って、自分で楽しくする。
失敗したっていい。「楽しくするのは自分自身」なのだと、これからも自分を奮い立たせながら生きていこうと思う。