「人にボールを当てて喜ぶなんておかしいわ」

ボールに当たった子が、吐き捨てるように言って、外野に行きました。
その一言が私とスポーツの距離を決める大きなきっかけとなったのです。
そう、私の中で何かが引っかかりました。
心の中で「そんな!ドッジボールは戦いだろ? 敵を倒すのが醍醐味じゃないか!」と思ったものです。

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私はその頃、ドッジボールのエースでした。
男子たちと肩を並べて戦うことに誇りを感じていましたし、男子の強烈なボールをキャッチすると、「まだまだだね」とひそかに満足し、自分のボールが相手に当たると「これが私の力だ」と内心、叫んでいました。

しかし、先ほどの一件で私の見方は一変しました。
「ボールを当てて喜ぶのは、本当に楽しいことなのだろうか」と。
高学年になると、男子と女子が別々に遊ぶようになり、嫌々とドッジボールをする女子たちの姿が目につきました。

彼女たちが、ボールを避けるたびに漂う悲しそうな表情に、「これって、本当に正しいの?」と自問したものです。

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運動会では、さらに混乱が広がりました。
負けたチームが勝ったチームに文句を言い合い、罵り合う光景が目立ち、「これって、もはや戦国時代か」とさえ感じました。

そこにはチーム同士の溝が生まれ、練習中でも険悪なムードが漂っていました。
運動会後、負けたチームの応援団長が泣きながら「PTAの息子だからって、忖度ありすぎ!」と叫ぶのを見て、「うわ、ドラマかよ」と複雑な気持ちになりました。

私のこのような経験から、「スポーツって本当に楽しいのか? 誰かを傷つけてまで勝ちたいのか?」という疑問が生まれました。

私はスポーツが得意でしたから、ドッボールが苦手な子達の考えを理解することに時間がかかりましたし、批判していたこともありました。どんな方法であれ、勝てればそれでいいと浅ましいことを考えていた時期があったのも事実です。

しかし、苦手な子達の表情を見れば見るほど、私は疑問を抱くようになりました

私は大好きなドッボールをしているときに、悲しそうにしている人を見たくないと考えるようになったのです。私のしているスポーツは、誰かを元気にするためになっているのか、と。本当にそれで楽しめているのかと。

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スポーツマンシップは、フェアプレイや尊敬、思いやりを含むものであり、全員が楽しめる環境を作るために非常に重要です。チームワークや助け合いを育むことが、勝つことだけでなく成長することの大切さを教えてくれます。そして、誰もが心地よく参加できるような指導が求められると思います。

私は当時、ドッジボールが得意で、大好きな競技でした。
しかし、泣いている子を見ると、その楽しさに疑問を感じました。
泣いている子を笑顔にしたい、ドッチボールを好きになってほしい。
そのためにはルールや指導の工夫が必要なのではないかと本気で思いました。
個々の感情に寄り添い、全員が安心して参加できるような環境づくりをしなければいけないのではないか。

スポーツが持つ楽しさや健康促進の面を大切にしつつ、全員が満足するスポーツ体験ができるよう努めることが大切なのではないでしょうか。

これらの疑問と葛藤は、私にとってスポーツの本質を見つめ直すきっかけとなりました。
今でもボールを投げることは好きです。
しかしながら、その楽しさが他者の悲しみに繋がってはいけないということを学んだ出来事でした。