中高と私立の一貫校に通った。森の中にある自由な校風の学校だった。

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東京生まれの私だが、幼少期から都内の公園や緑あるところが大好きだった。整備された自然のなかで駆け回り、深呼吸して、秋には枯れ葉の山にダイブした。

緑が好きな大人たちに囲まれていたことも影響していると思う。プレーパークでは、竹を切って割り箸を作ったり、コップを作った。手作りの箸とコップ、流し台を使って流しそうめんを楽しんだ。大人も子供も一緒になって一生懸命に遊んだ時間が私の根っこにはある。

小学校6年間を卒業して、電車で森の学校へと進学する時には楽しみでいっぱいだった。学校で出会う新しい人たちはもとより、本物の緑(整備されていない森)のなかで時間を過ごせることが楽しみでならなかった。実際に通うようになってからは、思っていたよりもずっと森の学校のある場所が好きになった。

ベランダに座って周りの山を眺めたり、グラウンド周りの高台で友達とお昼を食べたり、山々に囲まれた坂を登って教室に通う日々。
夏には駅から学校までの道のりを歩いた。途中の川で授業を忘れて遊び続けたこともあった。学校のどこかから香る焚き火の匂いや間伐した木の匂い。野鳥の声や昆虫たちのざわめき。五感いっぱいで6年間の学園生活を過ごした。

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遊びの延長に学びがある。森の学校に通ううちに実感したことだ。私は特に森と人間の関わりに関心があった。「むかしむかし」から始まる日本昔話の世界では、おじいさんは山へ芝刈りにお婆さんは川へ洗濯に行く。生まれ育った東京では、遠いおとぎ話の世界だったが、森の学校で林業の授業を受けたり、田植えを行ったり、染色の授業を受けるうちに自らの実体験として昔話の世界を想起できるようになった。

さらに学びを深めたいと大学進学を決めた。日本各地に広がる伝承文化と持続可能な社会について考えてみたかった。大学周辺では狩猟文化が続いていた。山のなかで使う言葉と狩猟にロマンを感じるおじちゃんたちに出会った。畑や家を守るために狩猟を行う人もいた。私と同じようによそからきて狩猟を始める若い人たちにも出会った。私も狩猟免許を取り猟友会と呼ばれる輪の中に入り、森や動物たちとの付き合い方を学んだ。実践的な技術や昔ながらの知恵を受け継ぎ、伝えていく姿が眩しかった。私が見て、聞いたことはそのまま卒業論文になった。

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自分が知らない世界を見たい。森と人間の関わりを学ぶうちに強く思うようになった。自分が見て聞いた世界を次の世代や周りの人へと伝える仕事がしたいと出版社、広告代理店へと進んだ。
営業の先々でその土地で生きる人々に出会った。先代から受け継ぐ土地を守り、耕す人たち。東京生まれの自分にはない、家を中心とした話に憧れを持つと同時に、自分も拠点を持ち、生み出す人になりたいと考えるようになった。まだ、自分の天職はわからない。右往錯誤しながら日々を生きている。子供が産まれ、会社員生活に限界を感じる昨今。学びの時間に読んできた本を再読している。「一周まわって最先端」そんな言葉が響く。

森の学校から進学して、就職した今も、昔話のように森と人間のナチュラルな関わりから自分の生き方につながるヒントを探し続けている。まだまだ、学びは続きそうである。今、わかることは私が変わらず森や自然と関わる時間を心地よいものと感じているということ。何百年と続く森と人間の関わり。絶やさぬようできることを自分なりに見つけたい。