「たとえば、ひとつのフレーズを練習している時、1度それを吹いて、もう1度同じフレーズを吹いたら、2回目は1回目よりも上達していなければならない。そうやって1分1秒、成長し続けなければダメなんだよ」

スイス留学中、オーボエの師匠にそう言われたことがある。その時は猛烈だなと思ったけれど、その猛烈な言葉は私の中にストンと落ちて、それからずっと残り続けている。

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留学を終えて、体調を崩してオーボエを置き、アパレルに就職した。配属になった店舗は大阪の中でもかなり忙しくて大変なお店で、始業からものすごい勢いで怒られることも多かったけれど、しばらく経ったとき先輩に言われたことがある。

「こないだ店長が、『注意したことに対する反応が早い』って言ってたよ」

店長がそれぞれのスタッフに対して感じていたことを言っていたらしく、私のことをどう言っていたのか、教えてくれたのだ。スイス時代に師匠と、『一度言われたことを、二度言わせない』約束を結んでいたので、その感覚が私の中に根付いていたのだろう。確かに、一度した失敗を繰り返さないことは心掛けていたし、実践もできていたと思う。音楽を学ぶことで身についていた色んなことは、社会に出て別の職種についても、役に立つことが多かった。

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今の仕事についてまるまる2年。職場が変わり、環境も整ってくると、まるで磁石が吸い寄せられるように、私の心もまた音楽に寄せられられた。新しいオーボエという、縁が舞い込んできたのだ

辞めるきっかけの1つだった、寿命をすでに超えていた楽器。大抵オーボエなどの木管楽器の寿命は10年と言われている。もちろん演奏頻度や管理状態によって異なるけれど、私はもう十分と言うほど吹いた。14歳の時に来てくれたオーボエは、高校、浪人、大学、そして大学院と、常に私に寄り添いながら助け続けてくれていた。留学中、色んな人に楽器を見られては「そろそろだね」と言われてきたけれど、新しい楽器を買うお金がなかったから、どうしようもなかったのだ。

新しい楽器が、私のもとにやってきてくれた。前の楽器は、「これから始める学生さんとかに、売るようにするね」と楽器屋さんと約束して下取りに出したから、物価高と円安の影響で以前よりもうんと値上がりしているにも関わらず、以前とほとんど変わらないくらいの値段で手に入った。手放すなんてとんでもないと思っていた前の楽器も、手放す決心がついたのは、日本の師匠が自身の歴代の楽器を手放したことを聞いたからだった。クローゼットの中でじっと忘れ去られているよりかは、誰かに演奏してもらえた方が、未来の音楽界のためにもなるのではないだろうか、と。

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楽器に引っ張られるように、2つ演奏する機会が舞い込んできた。今年の夏と、来年の秋。そのために2年ぶりにリードを作った。材料を購入し、封印していたリードメイキングセットを取り出す。まるまる2年ぶりのリード作りは、いざその時になると手が覚えているのか、拍子抜けするほど普通に作ることができた。そして2年のブランクを感じられないくらい、楽器は良く鳴ってくれた。

ここまで来るのに、本当に色んな道を歩いた。振り返って見るその道は、ワクワクするほど色鮮やかで、そして挫折する前の私には考えられないくらい楽しくて面白くてすごい。どの体験も1つ1つが意味をし、別の角度から人生を味わったことで、得たものはかなり大きかった。

は楽器を演奏したり、音楽の勉強をするために、働いているようなものだけれど、それが案外合っているような気がした。音楽に当てられる時間は減っているけれど、お金と気持ちには余裕がある。単純に演奏することを楽しんでいられる。勿体無いとか、情けないとか、思われているだろうけど、私は私の人生を私に合ったやり方で楽しみたいだけ。毎日いろんな楽しいを積み重ねて、きっといい歳の重ね方ができるだろう。