思えば10代半ばからずっと、可愛くなりたい一心で生きてきた。自分で自覚したのがそのくらいで、きっと無意識には小学生の頃からだったように思う。女子小学生向けのファッション雑誌を毎月買ってはチェックし、モデルに憧れの気持ちを抱いた。

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高校生で化粧を覚えると、周囲からは褒めてもらうことも増えた。褒めてもらった際の私は、したり顔だったに違いない。それまでセンスや内面を褒められたことはあっても、顔を褒められたことなど一度もなかったのだから。
でも、スマホの中を覗けばスタイルが良くて美しい同年代の人がセルフィーをあげている。
「この人たちみたいに可愛くなるには一体どうしたらいいのだろう?」と頭の中が埋め尽くされた。

プロフィールを覗くと彼女たちは大体が芸能をかじっていた。バリバリ一般人である私が自分の見た目を売りにしている彼女たちに追いつけるはずなどないに等しいのに、そしてアイドルを目指しているわけでも何でもない無芸な人間なのに、あまりにも夢みる夢子ちゃんだった。

美容整形はプチと呼ばれる範囲内でとどめることになったが、ダイエットはとにかく色々な手法を試して、時には麻薬に近い成分が配合されているダイエット薬を使って心臓に負担をかけてみたり、食べたカロリーを全て消費するためにYouTubeを見ながら何時間もダンスをしてみたりと相当身体に負担をかけてきた。

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はじめは「可愛い私」になりたくて始めた美容だったはずなのに、いつしかそれは強迫観念に変わっていた。同時に美を追い求めるあまり、孤独にもなっていった。現在友達はマジでいない。

化粧水や美容液の成分、例えばナイアシンアミドとかレチノールとかそういう名前からビタミンミネラルの名称、チアミンとかピリドキシンとか亜鉛とかマグネシウムとかまで「覚えなければならない」「これを使わなければならない」という思考に変わっていって、楽しみよりもやはり強迫観念が上回った。

そんな私も7月で26歳になり、アラサーという足湯に完全に足を突っ込むことになる。そろそろこのような独りよがりで楽しくない美容はやめにして、心地が良くゆったりとした楽しめる美容を生活に取り入れていきたい。

こんな風に書くと、ものすごい努力を重ねた美人が書いているんじゃないかと期待させてしまうかもしれないが、全くそこらへんにいる普通の人だ。努力が必ずしも結果に結びつくとは、限らないのである。

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表面的な美容よりも人生を通して大事なのは、心の美容じゃないかと最近思う。心の潤い。季節の変化を楽しんだり、自然を感じたり、ちょっと背伸びをしたお店に入ってみたり、人に感謝したり、何かにキュンとときめいたり。そういったことが、のちの年老いた自分を可愛らしく美しい人にしてくれそうな気がする。

あと、何事に対しても不完全を許容すること。完璧主義をやめたら自ずと可愛らしくなるのカナ⁉️ナンチャッテ💦

可愛い人も可愛いものも好き。可愛いは、みんなにとっての正義だったりもする。でも、それがあなたチャンを闇へと誘うのならそんなものいらない。捨てちまえ。一緒に心地よくなろうネ♡