私はかつて、バリバリの理系だった。
今は文系の世界にいる。
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文理の選択を迫られたのは高校2年のときだった。
私は(あまりいないと思うが)素直に勉強が楽しいと思っていたので、正直どちらでもよかったが、この文理選択がこの先の将来を決定づけるような気がして、悩み過ぎて自分1人では決められず、母校の中学校へ行き、信頼している先生たちに相談した。
当時私は中学校の教員になろうと思っていた。
だから、文理選択=何の教科の先生になるのか、という選択だった。
学生の頃、進路を決めれば「一生その道で生きていく」くらいに思っていた人も多いだろう。
私もそんな感じで、一生付き合っていくなら何の教科だろう、と考えた。
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1番得意なのは国語だった。
昔から本が好きで、誕生日には必ず誰かが本をプレゼントしてくれたし、悩める思春期の自分の側にずっといてくれたのも本だった。
現代文の基礎的な問題で困ったこともなかったし、実際点数も1番良かった。
次に得意なのは社会、特に歴史だった。
これも昔から好きで、よく偉人の伝記を読んでいた。
中学生の頃から好んで大河ドラマや歴史ものの映画を観ていた。
国語の次に成績が良かった。
もうおわかりかと思うが、私の脳みそは完全に文系に傾いている。
でも私が選んだのは理系、その中でも文系が忌み嫌う教科、数学だ。
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数学も好きだった。
中学までは順調にできていて、成績も良かった。
高校に入り、とたんに周りのレベルについていけなくなり(かなりの進学校だったので)、得意だった数学で100点満点中3点をたたき出すまでになった。
好きだし得意だった数学は、好きだけど苦手な数学になった。
片想いである。
話を文理選択、教科選択に戻す。
何か1つ、自分が子どもに教える教科を選ぶと考えたときに私がまず選択肢からはずしたのは国語だった。
意味がわからない人が多いだろう。
意味がわからないと何度も言われた。
私にとって国語は「純粋に楽しみたいもの」であり「子どもに教育したいもの」ではなかった。
みんなが国語の問題を解けなくてもいいと思っているし、読書をするべきだとも思っていない。
正直、現代文の問題で困ってこなかった私には、なぜその問題を間違えるのかがわからなかった。
これではとてもじゃないが国語教師にはなれないと思った。
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ではなぜ数学なのか。
それは自分も、どれだけ頑張ってもわからない、という経験を散々したからだ。
それでもなお数学のことを楽しいと思えたからだ。
数学も、できなくてもいいと思う。苦手なら苦手で仕方がない。得手不得手があるものだ。
それでも、数学の授業の苦痛を少しでも減らせたら本望だと思った。
…我ながら良い数学教師じゃないか。
で、今は文系の世界にいるわけで。
色々あって私は数学教師になり、色々あって教師をやめ、大学院に社会人入学をした。
心理学。心理学が好きなわけではなかった。正直興味もなかった。
ただ、新たな職を手にするために現実的な進路が心理学だった。
何の予備知識もないまま入学。
学び始めるとこれがまた大ハマり。座学と実習にのめり込み、気づけば主席卒業をしていた。
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人生ほんと、何があるかわからない。
理系だろうが文系だろうが、何かを楽しいと思えて、何かを好きだと思えて、新しいことを素直に取り入れる器を持っておけば、誰だって、いつだって、何にだってなれるのだと、私は信じたい。