ある日、いつものように職場に向かう電車の中で、急に頭がしめつけられるようなめまいに襲われた。1時間後には仕事のアポイントが入っていたため「頑張って行こうか」と思ったが、耐えきれない気がして観念し、上司にメールを送った。文字を打つのも、自分が打った文章を読み直すのも気分が悪く、何かの病気だったらどうしようとわけがわからなかった。

けれど上司の許可を得て帰る途中、職場から遠ざかるほどにめまいは引き、気分がましになっていった。「もしかして」と思ってメンタルクリニックを受診した結果、「パニック障害」と診断された。

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思えば仕事や、不妊治療のストレスは常にあった。けれどどうしようもないものだと思っていたし、楽しいことを見つけて気を紛らわせているつもりだった。やりがいのある仕事は大好きで、次はこれをしよう、と考えていたことがたくさんあった。でももうメールや電話をすると頭痛がし、主治医から「一度仕事から離れるように」と休職を勧められた。「やりたいのになんで」と涙が出、一度止まってしまうと本当に何もできなくなってしまうんじゃないか、と不安ばかりが襲ってきた。新しい命を迎えるどころではなくなってしまい、治療も休止した。

ある時、著名なミュージシャンがうつ病を公表したインタビュー記事が目にとまった。病名は違えど他人事とは思えず食い入るように読んだ。状態は上がったり下がったりと苦しいことがたくさんあったが、「『元に戻る』のではなく『新しい自分』になる」と書いてあった。「自分を受け入れる。病気と寄り添い、乗りこなして生きていく覚悟です」という言葉が心にすっと入ってきた。

思えば自分の中にはどこか、メンタルが不調な人に社会が向ける、心ない目線を気にしていたところがあった。同僚が、精神疾患のある人を笑ったり、差別的な言葉で表現するのをこれまで見てきたのが大きかったかもしれない。自分自身はそんな気持ちはなかったつもりだが、いざ自分が当事者になると、「自分もそう見られるのかな」という思いがよぎった。

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でも周りを見渡すと、今の私を支えてくれたのは、一度立ち止まった人だった。
休職を経験した友人は「もっと悪くなる前に休んだ方が早く治る。絶対に今、休め」と背中を押してくれた。実体験を基に、「必ず気力は戻るから、とにかく時間を信じて待って」と言ってくれた友人もいた。実は自分も休職したことがある、と打ち明けてくれた職場の先輩からは、仕事の話には一切触れず、身の回りのなんでもない日常を話してくれるメールが届いた。実家に帰ると母は、子どもの頃と同じようにかいがいしく世話を焼き、一緒にテレビを見てくれた。一緒に暮らす夫は、以前と変わらず家事を分担し、何気ないことで笑わせ続けてくれている。

「何があった!?」と心配して電話をかけてこられるよりも、そっとしておき、いつも通りのやりとりをすることが優しさの時もある、と初めて知った。
「一度止まると何にもできなくなる」と思い込んでいたけれど、そんなことはなかった。
最初は日記を書くこともおっくうだったのに、こんな風に文章を書きたいとまで思うようになった。

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最近、雑誌で「ネガティブケイパビリティ」という考え方を知った。「どうにも答えの出ない事態に耐える能力」という意味で、その助けになる「目薬・日薬・口薬」は、「誰かが見てくれていることで耐えられること-目薬」「時間の経過が薬代わりになることー日薬」「めげずにね、などの声かけをすることー口薬」という意味だそうだ。友人や家族のおかげで、私は日々、この三つをいろんな形で受け取ることができているんだと知った。

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今でも気温が上がれば体調はぐにゃりと悪くなる。分かりやすいグラフのように右肩上がりで回復するわけではないのだろう。でもこれは「新しいわたし」なのだと思うと、不思議と冒険感を感じる。これからどんな世界が見えるのだろう。今までの私に3ミリ足された自分と、末永くつきあっていきたいと思う。