単純に「数学が苦手だったから」と言い切れれば楽なのだが、そうなるとこのエッセイも成り立たないので、私の中で文理が白黒ついた背景をなんとか振り絞って書いていこう。
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結論から言うと、数学は好きである。科学は苦手だが、数字を扱うのは得意。特に、「3Lと5Lの容器を使って4Lを量りなさい」とか「ノートは鉛筆より40円高い。合計100円のとき、鉛筆はいくらか」みたいな、一見簡単そうだけど頭を捻らなければならない問題は、時間も忘れて没頭してしまう。SPI対策していたときは、熱中しすぎて3時間ぶっ続けで問題を解いていた。
中学までは成績も伴っていたので、数学も出来る方だと豪語していた。しかし、高校受験のときに英語進学科という完全文系コースを選択した。数学よりは英語のほうが好きだったから。
英語科であっても名目上は普通科、故に大学受験に必要な必須科目は当たり前のように勉強させられるし定期テストもある。高校でも数学はちゃんと勉強していたが、中学のときほど得意と言い張ることはなくなってしまった。理解できていたことが、応用になるとてんで分からなくなってしまった。
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高校で、私は言語の面白さに触れてしまった。英語が楽しいと、母国語である日本語の奥深さにも気づかされる。中学ではさほど読まなかった本を読むようになったし、逆に小説を書くようにもなった。文系の代表格である書道部にも所属して、古典に触れた。それまで音楽は嵐しか聴かなかった私が、新しいクラスメイトの好きなアーティストを知り、様々なアーティストの曲を聴くようになった。
大学を選ぶときに、はて私は何が好きかしら、と考えてみたのだが、時間をかけることなくその答えは出た。私は、答えのない物事が好きだ。頭を捻れば答えを導き出せる数学も好きだが、それ以上に、人の数だけ答えがある文学が好きになってしまった。
書道部に所属していたとき、腑に落ちないことがあった。芸術分野において、順位をつけるのはいかがなものか、と。文化部にも総体(総合体育大会)はある。それに限らず、多くの団体や連盟が何かと大会を開催するたび、作品を書いては出品者するのだが、結果は運動部同様「勝ち負け」がある。わかりやすく言えば、優秀賞を獲れれば勝ち、入賞していなければ負けだ。
私も何度か勝った経験はあるが、それでも心の底から喜べない自分がいた。だって私がいいと思った後輩の作品は負けていたのだ。運動部のようにはっきりと対戦相手がいるわけでも、攻撃において点数が加算されるわけでもない。審査員の好みと采配、それによって作品に価値が付与される。ほぼ運営側の独壇場ではないか。
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明瞭な結果ってそんなに大事だろうか。1番を獲ることがそんなに偉いのだろうか。数学はできたほうが生きやすい。でも、答えのない芸術と文学の奥深さは、知っていると生きることが楽しくなる。
文系と理系の違いは、求めたい答えの違いだと思う。ディベートにおいては正解も不正解もない。そういう問いを私は問い続けたいのだ。