仕事に結びつかない専攻は、悪だろうか。

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3姉妹の長女は、看護学部を卒業して看護師になった。三女は福祉系の学部を卒業し、資格を活かして働いている。次女である私は、国際系の学部を卒業して、英語や海外とは無縁の仕事をしている。私の学費に意味はあったのか、考え続けている。

今の仕事は、行き着いた仕事。専攻を選んだ時には「英語が好き」が私のアイデンティティだった。文系クラスの10人弱は近い道を辿ったと記憶しているけれど、それでも、生きる道を自分で選んだ実感があった。そうして入学した国際系の学部では、英語好きはアイデンティティでもなんでもない。帰国子女がゴロゴロいるクラスで、スタートラインが違う人種を呪いたくなった。お山の大将だった私の心は折れたのだ。

それから、英語が好きで得意な集団のなかで、私のアイデンティティを考え始めた。大学3年生でインターンに参加して手応えを感じたのが、コンテンツ制作の分野。そこから派生して職場を転々とし、行き着いたのが今の仕事というわけだ。

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大学での学びに、意義があったとは思っている。関心分野について学べる環境が用意されていたことに感謝しているし、豊かな時間だったと自信を持って言える。ただ、専攻を職業に活かしていない現状を思うと、高い学費には意味があったのだろうかと思ってしまう。

社会人になってから、長らく社会や働くことへの馴染めなさがある。そんなある日、書籍『働く女性に贈る27通の手紙』を手に取った。刊行時それぞれ60代・40代を迎えた作家とライターの往復書簡という形で、「女性が働く」ことを探求する本。ニューヨーク州と東京2つの仕事部屋を、手紙をくわえたフクロウが行き来する。

2人のやりとりは心地よかった。人生の先輩が、さらに先輩に相談している。その様子を、喫茶店の隣の席で聞き耳を立てているような。自分とは関係のない話が、自分とは関係のないところで展開されていく。企業のトップに登り詰めた女性が、女性が働くことについて大衆へ説くさまは、正直参考にならない。美しい文章で包まれた「もがき」の記憶に、いずれぶつかりそうな問題の懐柔策を予習する。

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作家の小手鞠るいさんは、「夢中になれる仕事に出会うため経験しておくとよいことは?」という質問に、「なんでもいい」と回答した。恋でもアルバイトでも旅でも、なんでも。そしてこう続く。

「人生において、役に立たない経験は何ひとつとしてない」

普段交流する機会のない、人生の先輩による言葉。衝撃と、安心と、未来への希望と、楽しみな気持ち。雲で覆われた心に、光が差す。きっといつか、学んだすべてを、私に起きたすべてのことを、意味があったと思えるのだろう。無駄なことなど1つもなかったと、私も誰かに言えるだろう。

いつになるかは分からない。40代かもしれないし、60代よりもっと先の可能性だってある。「専攻を仕事にする」という、今見えている選択肢以外の方法もあるだろう。どんな形であれコンプレックスを払拭できれば、高すぎる学費にも意義があったと思える。払ってよかったと親にも思ってもらえる日が来るのであれば、それだけで悩みが1つひっくり返り、希望に染まってゆく。