高校3年生へと進級したことは、大きな節目となった。中高一貫校で過ごしてきた私は、周囲の顔ぶれが変わらないため、自分自身の変化を実感する機会が少なかった。
しかし、この1年を振り返ると、確かな成長があったことに気づく。
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最近、「先輩らしさ」について考えることが増えた。高校生活の中で、後輩たちから「先輩」と呼ばれる度、その期待に応えるべく努力を続けてきた。しかし、それと同時に、まだまだ未熟であることを痛感することも多い。先輩として振る舞うことの難しさを感じる日々だ。
中学生や、高校に入学したばかりの頃は、高校3年生をとても偉大な存在に感じていた。疑問を尋ねれば、真摯な返答が返ってきた。まさに人生の先輩で、強く、気高いものとして捉えていた。
しかし、実際に自分がその立場になると、想像と現実は大きく乖離している。私はそんな立派な存在ではない。相変わらず失敗はするし、叱られることもある。憧れていた地点にたどり着いた時に初めて、その小ささに気づくのだ。
だが、同時に成長の余地があることを実感し、さらに努力しようと試みる熱意が湧いてくる。
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私が所属する茶道部では、後輩たちにお点前の仕草や礼儀作法を教えることがある。茶道部の稽古中、後輩たちの真剣な眼差しと一生懸命な姿勢を見るたびに、自分も初心を忘れずに学び続けなければならないと感じる。後輩のこちらを頼るような眼差しは、かつての自分と重なるところがある。
人はみな、同じ道を辿っていき、成長していくのだと大それたことも考える。
1年前の自分と比べて、目上の人たちを遠い存在と感じることがなくなった。
以前は、完璧な存在だと思い込んでいた人生の先輩方も、同じように失敗し、悩む人間だと理解できるようになったからだ。この視点は、自分自身の可能性を広げるきっかけとなったように思う。
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成人年齢が18歳に引き下げられたことで、私は法的には成人となった。しかし、心の準備は未だ追いついていない。まだ大人になりたくないという気持ちが強いのに、世間はそれを待ってはくれない。
同級生の中には法的にまだ未成年の人もいれば、もう成人として扱われるようになった人もいる。不思議な感覚だ。
例えば、今年の東京都知事選では、私は初めて投票権を得た。同級生の中で投票する権利を持つ人と持たない人がいるのは奇妙な感じだった。しかし、せっかく得た権利を無駄にするわけにはいかない。私は人生で初めて、投票ボックスへと支持する候補者の名前が書かれた用紙を投入した。
この一票が世の中を変えるかもしれないと考えると、少し大人になった気がした。
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高校3年生としての生活は、多くの学びと成長をもたらしてくれた。先輩としての責任感、新たな物事に対する感情などの経験は少しずつ大人へ近づいていることを実感させる。
高校生活も残りわずかとなったが、これからの大学生活に向けて、自分のペースで、将来に希望を持って成長していこうと思う。日々の小さな変化をも逃さず、大切にしながら、これからも努力を続けていく。
そして、いつか本当の意味での「大人」になる日を迎えたい。