「時間は有限」

この言葉にいまいちピンときていない自分がいた。

人間はいつか死ぬ。しかし、現代は何歳からでもチャレンジができる。40代からセカンドキャリアを築いた人、70歳でYouTubeを始める人など、年齢にとらわれず輝く人々がいる。「人間、いつからでもチャレンジできる!」という前向きな言葉を安心材料にして生きていた。

しかし「『いつか』はいつ来るのだろう?」とジレンマを抱える自分がいた。

私にはライターになるという憧れがある。小さなものでいいので誰かを勇気づけられる記事を書いてみたい。ただ、「いつからでもチャレンジができる」という言葉に甘え、どこか本気になれなかった。チャレンジをするにはエネルギーが必要だ。仕事が忙しくなると、「今じゃなくてもいっか」と後回しにする。

この考え方はライフプランにも影響する。キャリアセミナーでよくあるような「5年後を想像して逆算してみましょう」という問いに対して、「自分を縛り付けたくない」という言い訳を並べ、考えないようにしていた。妊娠出産の可能性に対しても、「まだわからない。いつかでいいや」と後ろ倒しにする。

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そんな私は「優先順位をつける」という言葉が嫌いだった。私はやりたいことが多い方で、年始には「やりたいことリスト」をたくさん作り、日々こなしている。

全部やりたいのに、順位なんてつけられない。「全部やったらいい」、そう結論づけていた。

そのため、私の生活は詰め込み型だった。分刻みのスケジュール、家事は爆速でこなし、リラックスする時間などない。
しかし、結局立ち返る。「やりたいことリスト」には沢山完了マークをつけているけれど、手軽に簡単にできるものをこなしているだけではないか?たくさん遊んで充実した気にはなっているけど、本当にやりたかったことってやれてるんだっけ?

そんなとき、自分の変化に気づいた。
日々、どこかイライラした気持ちを抱え、何かうまくいかないと大きく気持ちが落ち込む。夜になっても交感神経が過敏で、早朝に目覚めるようになった。
この私のコンディションは周りの人にも波及する。とある金曜日の夜、仕事終わりに彼氏との食事の予定があったが、気になっていた服をウィンドウショッピングしてから待ち合わせに行こうとした。

乗換案内で予定していた電車に乗れない。マップアプリで服屋への最短ルートを探すと同時に、食事をする店を探しながら駅を歩く。落ち合う店がなかなか決まらず、LINEの文面ですれ違い、感情のままメッセージを送っていた。
「いつも当たってきてしんどいよ」、ついに彼の口から漏れた。

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この言葉に危機を感じた私は自分の行動を真剣に見直した。
その結果、このところの不調の原因がこの詰め込み型の生活による疲れから来るものだとわかった。「あ、自分は無理してたんだ」ということがわかった。もう30歳目前。無理が利かない。自分のできる範囲の限界に気いた瞬間だった。

その日から、やりたい気持ちが湧き上がってきた時に、詰め込むことではなく捨てることを意識した。
それは、小さなことだった。待ち合わせまで10分余裕があっても、快適に食事を楽しむために、別の店に寄らずに集合場所に向かう。いつもならデパートの端から端までウィンドウショッピングをし、疲れ果てるところを、早めに切り上げて翌日の準備に当てる。

そしたら楽になった。それと同時に、自分が優先すべきことが浮かぶようになってきた。できる範囲には限りがある中で、大量にあるやりたいことのリストのうち何を本当は優先したいの?と問いかける自分がいる。

「いつか」を信じ、やりたいことの優先順位がつけられなかったあの日々は、自分の力が限りあるものであることから目を背けていたのだと思う。

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3ミリだけど、人生の捉え方が変わった瞬間だった。
人生でできることには限りがある。やりたいことの優先順位を決め「今からチャレンジする」覚悟ができた。例えば、もし子どもを作るとなったら、完全に自由があるのはあと数年……。

ライター活動をしたいから、趣味のバンド活動からの誘いを断った。歩き回りたい日に重い荷物を持つことをやめて、やりたいことに集中する。今も、このエッセイをなんとしても書き上げてやるんだ、という気持ちで、服屋を見に行くのではなくカフェでメモ帳を開いている。
「いつからでも」ではなく「今」、限りある自分の力の中で「何を優先したいの?」と問い続けていきたい。