「なるには」系のウェブサイトや書籍を見たことはあるだろうか。
「〇〇になるには」と様々な職業に就くための、進学先や必要な経験が書いてある、アレである。
なぜだか、私はこの「なるには」に囲まれて成長してきた。小学校時代から、子ども向けの職業ガイドを買い与えられ、中学校の「職場体験のしおり」には、「この仕事に就くには、どんな勉強や資格が必要ですか」の質問が。高校時代の進路希望では、「なるには系進学サイト」で興味の持てそうな職業と、関連資格が取れる学部を探した。

こんな「なるには」の英才教育を受けたにもかかわらず、私は何者にもなれず、就活戦績はまさかの社以上惨敗だった。

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当初の就活コンセプトは単純で、安定した企業に入りたい、できれば女性が働きやすい職場がいい、くらいのものだった。専攻を活かす方向だったが、なぜ専攻にこだわるのかと聞かれたら、理系だし、せっかく学んだのだし、程度の答えしか持ち合わせていなかった。
ちょうど、「リケジョ」が流行り始めた時期。化学科の私は、リケジョとして専門分野を活かし、大手化学メーカーあたりに就職、産休育休を経て家庭も仕事も充実と、思い描く将来像まで単純だった。

エントリーシートには、応募先の事業と自身の研究との関連を書き連ね、「学んだことを活かしたい」が定番の志望動機。そんな無個性な人間が採用者に魅力的に映るはずもなく、完膚なきまでの社惨敗だった。

大学の成績は良かっただけに、先生方からも「君は優秀なのに」と驚かれる日々。専攻を強みに貢献するつもりが「お前なんて要らない」という回もの否定によって、すっかり自信を喪失した。

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後がなくなり、やっと「専攻以外に自分にできることはないか」を真剣に考えた。
博物館が好きな私は、専攻とは別に学芸員課程を履修していた。と言っても、学芸員として採用される目はほぼない。学芸員就職が東大入試以上の狭き門であるのは無知な私も知るところであったし、目指すなら大学院進学がスタンダード。加えて、考古学や美術ならともかく化学専攻のため、学芸員課程は趣味というか、単に知的好奇心を満たすためという面が大きかった。
それでも、がむしゃらに少しでも関連しそうな就職先を漁り、夜行バスや新幹線も使って遠方まで面接を受けに行った。
結局、百数十何社目で、小さな社会教育系施設の契約社員という職を得た。

専攻した化学とは無関係の就職が決まり、これまでの学びは別に化学だけではなかったのを実感した。
思えば学生時代、博物館には何度も足を運び、「こんな知の結晶を担う仕事ができたら」と考えたこともあった。化学メーカーにエントリーした時は強みとすら認識していなかったが、昔から勉強はわりと好きで、知に触れること、その面白さの一端を人と共有できることは、私の幸せだと言える。
そんな訳で、雇用形態こそ許容範囲ギリギリだが、思いがけず手に入れた天職が、社会教育系施設の仕事だった。

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社会人五年目で、転職活動をした。
まだまだ社会では未熟者とはいえ、採用側の目線を知ると、自己PRも違ったものになる。志望動機では、学ぶ楽しさとそれを伝えたいという想いを語った。長所やエピソードを聞かれれば、年間三十館の博物館を巡った話や、最新研究の勉強が全く苦にならない話、学生時代の博物館実習や学習塾のアルバイトでの経験も話した。
その結果、一つ目の応募先からあっさり採用通知をいただいた。過去の経験から、すっかり就活恐怖症になっていた私は、あまりに呆気なくて驚く。これがテストなら、新卒の就活で0点だった過去問の答え合わせができた気分だ。

少し周り道をしたが、だんだん自分の特異性や活かし方が分かってきた、と言ったら大袈裟だろうか。
「なるには」を浴びるほど与えられて育った新卒の私は、いつの間にか得意教科の延長に専攻を決め、それに連なる職に就く、というモデルコースの人生に固執してしまっていた気がする。
あらゆる職業への興味を、進路を見据えた学びを、という視点で「なるには」の有用性は認めよう。一方で、過剰摂取により「化学科卒なら化学系に就職しないと」と選択肢を狭めてしまったら、もはや「なるには」の副作用と言えるかもしれない。

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そういえば、同じ化学科の仲間だって、実験の手際が良いとか、ノートが綺麗とか、白衣の着こなしがお洒落とか、チームをまとめるのが上手とか、みんな様々な強みがあった。専攻と関係がない仕事に就いた人もいたが、そうした個々の能力や経験が活かせたら、それは素敵なことだと思う。

自分の進む道は、誰かの作ったコースではなく、最後は自分の内側にある強みや想いから見つけたいものである。
人生のルートは、無数にあるのだから。