「外見たい〜」「わたしも〜」「棒持ちたい〜」

同じ帽子を被った小さな子達の声が気になる。電車の中が一気に騒がしくなる。

肩にかかる荷物が重くて、すぐ隣に人がいることが微妙にストレスで、早く駅につかないかな……。とイライラする朝の通勤電車。

時々小学生が乗ってくる。遠足だろうか。すでに満員なのにそこにお構いなしにどんどん入ってくる。担任先導の元、ひとクラス分の生徒が乗ってくる。乗車人数が増えれば当然窮屈にはなる。気づけば私はカラフルなリュックサックと無邪気な会話に囲まれていた。

いつもと違う景色の中でクラスメイトと一緒にいるのはさぞ楽しいことだろう。知らない土地にいくことにワクワクしているかもしれない。興奮気味の彼らの声は弾んでいた。

対して私の心は赤黒い不快な気持ちに囲まれていった。「うるさいな……」そんな文字が頭に浮かぶ。

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在宅勤務になった私。朝の満員電車とは無縁になった。

それでも休日の移動手段は変わらず電車。ある日、久しぶりに改札を通って遊びに出かけた。週末にもかかわらずやっぱり人が多いのが都内。家族で電車を使う人も当然多い。主要な駅を通過するたびに人の入れ替わりが激しい。私は吊り革を持ちながらそんな景色を眺めていた。

ドアが開いて一気に人が降りたと思うと、隣にベビーカーがやってきた。そして赤ちゃんの泣き声で車両は包まれた。私のイヤホンを突き抜ける「う゛わ゛〜!」という声はとても元気がよかった。「かわいい赤ちゃん。眠たいのかな」「そうだよね、知らない人がたくさんで怖いよね」そうふと思ったし、いつの間にか赤ちゃんの気持ちを考えたりしていた。

でもご両親は気が気じゃない感じでどうにか泣き止まそうとしていた。必死で赤ちゃんの気持ちを落ち着かせようといろいろ手を尽くしているお母様とお父様を見ていると温かい気持ちになった。結局3駅分くらい私は聴きたい音楽が聴けなかった。泣き声と一緒にしばらく電車に揺られていた。

あれ、なんだろう。前はもっと別の感情を抱いていた気がする。不思議と以前乗り合わせた小学生達のことを思い出した。この気分の違いはなんだろう。

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やっとでた答えは自分の「心の余裕」の違いが影響している説。朝、通勤電車に乗っている時は鬱々とした気分で気だるさや少しの落ち込みを感じてなんだか自分の中がいっぱいいっぱいだった。

小学生が乗ってきて騒いでた時にちょっとピリついた気持ちになったのは「これからこっちは仕事なのに」「楽しそうでいいね」と、羨ましさがあったからかもしれない。自分が満たされていない感覚や不自由感があったら、そりゃ相手が小学生だろうが赤ちゃんだろうが羨ましくなってしまう。

私だって電車内で自由に話したいし動きたいし吊り革から手を離して知らない土地にお弁当を持って友達と出かけたい。それができない自分にイラついていたのかもしれない。

それに対して休日の私は気分がすっきりとしていたし、人が多い電車が久しぶりで変な緊張感も持っていなかった。だからこそ素直に「赤ちゃんかわいいな」の感情が湧いてきた。

これは小さな子供に対するかわいいな、だけでなくて、綺麗なスタイルの同い年くらいの女の子にも同じようなことを言える気がする。自分の体型に満足せず、劣等感を抱いている時にすらっとした脚の女の子とすれ違ったとすると、素直に「かわいい」なんて言葉は出てこない。「いいな……」きっとこんな気持ちになる。

羨ましさや妬みや苛立ち。そんな感情がないから湧き上がってくるのが「かわいい」だと思う。素直に「かわいい」と言えなくなったら少し休息が必要なサインかもしれない。