2年前まで、私は定規でひかれたように真面目であり、他人に決して心を開かないようにしていた。本当は、素の自分を友人にさらけ出してしまいたいけれど、築き上げてきた「外の私」が崩れてしまうのなら、それは恥ずかしいことだし、何より恐ろしいと思っていた。

ぎゅっと手のひらを握りしめて、ぐっと我慢する。いつも愛想笑いを浮かべ、自分の本心を明かさないなんて、顔がない人形のようなものだ。それでも、友人の話や相談を聴き、アドバイスする役割が多かった。自分の本心を閉じ込め、他人の本心を引き出すなんて、皮肉なことであるとも思う。

顔のない人形生活を続けていた私はまた、両親の言うことに比較的素直に従う子どもでもあった。私という「芽」に対して、両親は懸命に水や日光を与えてくれた。しかし、それに甘える私は土の布団にくるまる芽にすぎなかった。換言すれば、自我が未熟のまま成長してしまったのである。

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好きなことははっきりとしていたので、それに合わせて、大学の進路はすんなりと決められたのだが、いざ就職活動、となったときに、その選択肢が膨大で、私は思わず立ちすくんでしまった。やりたいことを改めて探してみたけれど、それを仕事にして当てはめてみると、何かが違う。

一方で、そんな状況下で、インターンシップや企業説明会など、イベントはどんどんと迫ってくる。対処しきれなさを抱えながら、私は次第に自分の心が分からなくなってしまった。世間に見せている私も、内奥にいる私も、みんな迷子だった。気づけば、そんな自分が嫌いになり、ストレスで摂食障害に陥っていたのだった。

摂食障害になってから、食事が恐ろしくなり、世間とのズレを大きく感じるようになった。例えば、美容院で提供されるジュース等の飲み物は、カロリーがあるから飲むことができない。体重増加が怖いという症状のせいで、治療は難航する。中には、「食べ物を粗末にしているし、余裕があるから、そんな病になるんだ」という声もかけられたこともある。

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病気を抱えた私について、正直に言えば、どこまでが自分の意志で、どこまでが病気によるものなのか判別がつかない。しかし、ひとつ変化したことがある。それは、他人に心を開き、自分を出せるようになったことだ。

摂食障害にかかると、自分の心だけで思いを溜めておくのは難しい。あまりにも辛いので、他人に相談したり、思いを吐き出すようになったりすると思う。もちろん、心を開くのが苦手だった私も例外ではない。

まず、友人に摂食障害であることを告白した。皆、静かな湖面のように穏やかな面持ちで頷き、理解を示してくれた。ぽつぽつと、自分の思いを吐き出すようになると、案外気持ちがすっと楽になった。恐れていた「崩壊」も起きることはなく、絹に包まれたような、心地よい感覚を抱いたのだ。

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筆者は現在入院中であるが、赤の他人であったはずの先生や医療従事者の方々にも、全て悩みを相談し、自分の思いを話している。昔の私からすれば、考えられないことだ。

先生はよく、「本来の私が戻ったら……」という話をする。今の私は本来の100%の力を引き出せていないと。確かにその通りかもしれない。しかし、病気が治ったとしても、元の私の着地点に「戻る」のではなく、数ミリズレたところに、着地するような気がする。そうすることで、本来の自分と一致して、ありのままの自分を愛せるようになるのだろう。

顔のない人形生活は、もう終わり。闘病で挫けることばかりだが、そのたびに泥を拭い、歩み続けよう。もう私はひとりではないのだから。頬に赤みがさした、生きた人間として、苦難も喜びも受け入れて生きてゆく。