人から言われて最も嬉しい言葉。
私にとってはそれが「かわいい」だ。

世の中の女性はみんなそうなんじゃないかとさえ思うほど、「かわいい」は最上級の言葉のイメージだ。

言われて嫌な人はいないし、どれだけもらっても減らないものだ。

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幼い頃は人と比べてばかりで、「かわいい」という言葉に敏感だった。

隣のBちゃんをかわいいというならば、かわいいをもらえない私は価値がないとさえ感じたまのだった。

自分がなくて、人に評価や承認を求めている在り方はつらく不自由だった。

自分軸を手に入れて、ある程度歳を重ねたらそれは和らいでいくものだと思っていた。

でも、歳を重ねるとむしろ「かわいい」という言葉への奥ゆかしさや深みを感じて、もっと言葉に敏感になっていった。

それで苦しさを感じることはあまりないけれど、楽しめる教養が増えたとでもいえるだろうか。

かわいいは何も見た目だけを指すのではない。

人の弱さや嫌われる要素さえも、自分の捉え方を変えることで「かわいい」と感じられるのだと知った。

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一方で、かわいいという言葉が生死を分けるほどのパワーを持つ場面だってある。

よくある議論のひとつは、「かわいいという言葉は本命にしか言わないもの」か否か問題だ。

「かわいい」と言ったから、思わせぶりだという人もいれば、「かわいい」を挨拶程度に使う人もいる。

前者同士、後者同士であればトラブルもないのかもしれない。

でも前者と後者と交わることが多々あると思う。

この価値観の違いが恋愛の場面で戦争を巻き起こすことがあると思う。

ここで大事なのは、自分の価値観が正しいと思わないことだと思う。

そもそも価値観はその人の過去から出来上がっているものであり、人それぞれ違う。

正解もない。

にも関わらず、私たちは「正しさ」で価値観を測ってしまうことがある。

自分の正しさと違っている時、イライラしたり悲しくなったりネガティブな感情を抱くものだ。

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人と人との関係が悪化する原因は「怒り」の感情で、この怒りの感情が問題だと思う。

いらいらと怒りを感じた時に自分を疑う姿勢を持ち、怒りを感じるのは、相手と価値観が違うからだと理解する。

人は鏡と言われるのはほんとで、自分に厳しい人は相手にも厳しい。

「こうあるべきを持っている」からそれに反すると怒りの感情が生まれてくる。

だから「かわいいは絶対脈アリだ」と決めつけないことだと思う。

相手が悩んでいないならどんなに問題に感じることであっても、自分の意見は言わない、許容の器を広げる練習をしてみる。

そうすることで「かわいい」を娯楽のように楽しめるようになったと思う。

「かわいい」と上手に付き合えるようになる過程で、成長しほんの少し大人になれる。