いつも言葉を気にしていた。誰かが言った言葉、書いた言葉、ひそひそ言葉にこそこそ言葉まで。私は言葉ばかりを気にしていた。

嬉しいことも悲しいことも、こんな風に言われたから、こんな風に書かれていたからと、言葉で表現されたことで一喜一憂していた。
そのため、自分は大事なことを見落としていたことに最近気がついたのだ。

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モデルの仕事をしていた時のことだった。
モデルのメンバーの中で、30代の私はおばさんの部類だった。グループLINEにも「おばちゃんず」と書かれている中に入っている。

だから何も言わずに写真を撮っているカメラマンさんたちを見て、不安を抱いた。
何人かのカメラマンさんが黙ってレンズをこちらに向けている。今のポージングがイマイチだったのかもしれない。表情が気に入らなかったのかもしれない。今日のメイクが微妙だったのかもしれない。そもそもおばさんの部類の私が被写体というのが気に入らないとか? 駆け巡る不安感。

私がそんな不安を抱きながら1人休憩時間に下を向いていると、1人のカメラマンさんに声をかけられた。

「カメラマンっていうのはね、多くを話さない人もいるんだよ。今の時代、言葉がけによって失礼なことだったり、相手を傷つけてしまったりもするでしょう。だからね、直接は言わないものなんだよ。綺麗とか可愛いとかも。シャイなのもあるしね。でもね、わかさんは綺麗だし可愛らしいんだよ。レンズを向けている人は特にそう思っているんだよ。少なくとも僕は綺麗だし可愛いとも思っているんだよ。普段は言わないけどね」

私が不思議そうな顔をしているとカメラマンさんは笑みを浮かべながら言った。

「シャッター音だよ」と。

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シャッター音は、その人が魅力的だと感じている証であって、シャッター音が綺麗や可愛い、今のいいねの代わりだと言った。

そのことを知ってから、私は黙っているカメラマンさんを見ても、不安に思わなくなった。耳を澄ませてシャッター音を聞くと、連写のように何度もシャッターが切られていた。あぁ、今の表情やポージングが良かったのか。スカートを持ってクルッと回るとシャッター音が多くなる。こういうのが綺麗や可愛い、そしてカメラマンさんのいいねなんだ。何か言われたわけではないが、カメラマンさんの好みに気づくこともできた。言葉は一切交わしていないのに、お互いが通じ合った気がした。

考えてみれば、夫もそうだった。言葉にはしないが私のことをとても大切にしてくれている。私が言葉で伝えてもそっけないけれど、夫は私に無償の愛をくれる。夫が仕事休みの時は、私の職場まで迎えに来てくれる。好きなお菓子を買っておいてくれる。そっと手を握ってくれることや、優しく撫でてくれること。そういう行動こそが愛なのだ。愛してると言わなくても、夫は私のことを愛している。

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行動が何かを伝えていること、その行動で何かを伝えようとしていること、そしてほんの少しの行動に、大切に思う気持ちや愛が詰まっているということを知ったのだ。

だから私は、前よりも少しだけ日々を楽しく、そして嬉しく生活することができる。
通りですれ違った時の微笑み、遠くから手を振っている姿、私に優しく触れる手、言葉はなくても、そういうこと全てが何かを伝えようとしている。

言葉だけが全てじゃない。
言葉はないけれど、想いはある。

今までは言葉ばかりに気を取られていた私。正直に言えば今も言葉を気にしている。言葉にしてほしいことだってある。

でも、言葉にはなくても、大切な想いが詰まった行動があることを知った。知ったら不安な気持ちが少なくなり、私は少しだけ、幸せだと思うことが増えた。
仕事でも、プライベートでも、言葉ばかりに気を取られずに、一人ひとりの行動にも気を配ろうと思った。
大切な想いに気づけるように。