「いつも笑顔だし、良い人ってことはわかるんだけど、自分らしさがないよね」そう言われて、ネットで『自分軸』と検索した。一年前の日記にそう書いてあった。

◎          ◎

自覚はあったと思う。人当たりが良く誰とでも平等に接することができる一方で、本当に心を開くまでに時間を要する。というかむしろ、相手によっては一生心を開かないという選択肢だってあるわけで。

心を開かないと言ったって、その人とコミュニケーションを取らないとか、そういうことではない。可もなく不可もく、「良い人止まり」な関係が多かった。

だから冒頭の言葉を直接ぶつけられた時、どう返したらいいのかわからなかった。いつものように見えない壁を作っていた私に、好意というボールで壁を越えられることはあったけど、チクチクとした武器で削られることはほとんどなかった。

来る物拒まず、去る物追わず。そうやって生きてきた私は、その人のことも避ければいいやと軽く考えていた。

◎          ◎

しかし仕事上2人きりになる機会が増え、私の壁に彼女の言葉が次々と刻みこまれていく。

「いつも質問ばかりするけど、自分の考えはないの?」
「こう言われたからやる、って、自分で考えて行動できないわけ?」
「なんか一緒にいるとすごい疲れる」

なぜそんなことを言われないといけないのか。私なにか悪いことした? そんなに私が嫌なら、関わらなければいいのに。全ての言葉を攻撃と捉え、受け止める前に攻撃を躱し続けていたが、一向に状況は変わらない。

躱しても変わらないので、一旦受け止めて今まで私が「良い人止まり」だった理由を考えてみた。うーん、多分、良い人でいた方が人間関係が楽だから? 待てよ、でも今私、人間関係全然「楽」じゃない。

そこから少しずつ、それこそ1ミリとかのペースで自分を開示していった。そして、彼女のボールを躱すのではなく、一旦受け止める。受け止めて、考えて、ボールを返す。そっか、今まで人とコミュニケーションは取っているから問題ないじゃんって思っていたけど、取れていなかったんだ。私は大きな勘違いをしたまま生きてきた。

◎          ◎

やっと本当の意味で彼女や他の仕事仲間とコミュニケーションが取れるようになってきた時、彼女が退職すると知った。あれ、私、悲しんでるかも? 人が私の前から去る時、本当のコミュニケーションが取れていたら、私はちゃんと悲しい。いつの間にか去る者も追いたい人間になっていた。

彼女の最終出勤日、しっかり悲しかった割にそれはさらっと過ぎていった。あれ、結局悲しくなっていたのは私だけか。ちょっと寂しいけれど、仕事が終わったらメッセージでも送ろう。ボールはもう私から投げることだってできるのだ。

そう思っていたら、ピコンと通知がきた。退職した彼女からだ。『しんどい事が多い中で、あなたがいる時は働いていて楽しかった』受け止めるには大きすぎるほど、うっすら残っていた壁を壊すには十分過ぎるほどの特大ボールだった。

簡単に変わることはできない。間違った方向にいってしまうことだってある。その度に1ミリ、2ミリ、3ミリと少しずつ進んでいこう。そう思えるだけですでに1ミリ進んでいるのだから。