「将来の夢は、お花屋さん」
人生で初めての夢は、保育園の卒業式に先生が読み上げてくれたものだった、と思う。
小学校の卒業文集では、沖縄アクターズスクールの流行りを受けて「ダンサーになりたい」に変わっていた。
高校卒業後選んだのは、写真専攻のある専門学校。「東京で有名なカメラマンになる」というビックな夢で、心はドキドキとワクワクに満ち溢れていた。
将来の夢やなりたいものを見つけるのは、難しくなかった。そのときどきで自分の心が踊るものを選べるのは、むしろ楽しく嬉しいものだった。ちょっとした誇らしささえあった気がする。
しかし、夢は簡単に叶うものではない。自分のなりたいものになれないと気がつくたびに、それを受け入れるのが大人になることなんだと言い聞かせた。
ドキドキとワクワクに満ち溢れていた心は、いつの間にかしぼみ、自分を誇らしく思えた気持ちは消えた。自分に肩書きと呼べるものがなく、コンプレックスを抱いた。そんな自分に失望しないよう、ノリと明るさをプラスして悲しい自分を隠す手段を身につけていった。
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自分の好きを探求するためにハワイ島移住を決意したとき、滞在方法は学生ビザにした。理由は一番取得が簡単だったからで、自分の意思と反して30代で学生をすることになった。
授業の中で、論文を書くことがあった。論文なんて聞くと、めちゃくちゃ大それて聞こえるが、書き方や文法を学ぶ一環で興味や関心のある事例について調べ、3ページ程度の文章にまとめる初歩的なものだ。
ハワイ州の自殺率が高いと聞き、それをテーマに書くことにした。調べる中で、アジア圏では韓国に次いで日本の自殺率が高いことを知った。それと同時に、北欧で行われている教育も知ることができた。私にとっては、これが目から鱗だった。
「何になりたいかではなく、どういう自分でいたいか」
この問いを向けてくれた人が、私の人生に1人もいなかったことにも衝撃を受けた。
私は今まで自分の内側ではなく、自分の外側の実績や成功で判断される社会を生きていたのだ。何かになれない自分にコンプレックスを抱いていたのは、聞き慣れた「将来何になりたいの?」という問いに原因がある気がしている。
自分にとっての心地いい状態はどういうものか、自分は今どう感じているのか。他者からの視点を、自分の視点に変える。この新しい視点のおかげで、自分の気持ちにはっきりとした変化があった。
以前は何にもなれない自分をどこかで諦めていたし、引け目に感じていた。
しかし私にとって肩書きや知名度は、どうでもいいものだとしっかりと理解できた。名前がなくとも誰かの役に立てる仕事であれば、充分な満足感が得られると知った。
恋愛に関しても、相手のスペックやどのくらい好かれているのかばかり気にして、付き合ったとしても相手から嫌われないようにと顔色を伺っていた。
しかし、自分の気持ちに目を向けることで判断基準が相手ではなくなった。
「過不足ない明るさと前向きさがあり、心が自由でいられる」
これが、私のありたい自分だった。仕事も恋愛も、この答えがあることで自分の気持ちに集中でき視界が開けた。私にとって重要なことをきちんと大切にすることで、日々の輝きは増していった。
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「学び」の先にお金が稼げるかどうかを考えられる人は、きっと賢いんだろう。ただ、お金が稼げることが「学び」の全てではない気がしている。
私にとって「どういう自分でいたいか」という学びは、お金以上に大事なお守りのような存在になっている。
他人軸ではなく自分軸で物事を判断できるおかげで、比較対象や社会から見た自分の立ち位置に左右されず、私が選びたい道を歩んでいけている。
もしあなたが周りの目が気になって、生きにくかったり自分を好きじゃなかったら「どういう自分でいたいか」を自分に問いかけてみてほしい。
何にもなれなくても、私たちはただそこに存在するだけですでに尊いはずだから。