小さい時、ピアノの発表会の服を買いに行ったときのことだった。レースやリボン、フリルのついたドレスを手に取った私に、祖母は言った。「そんなの着たら、服に気を取られて演奏に集中できない」と。
発表会で可愛い服を着せてもらえるからという理由でピアノを習っている子も多かった。私はピアノ自体が好きだったので、それは構わなかったが、今、発表会の写真を見ても、他の子たちに比べて私の格好は可愛くない。
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私は父方の祖母と同居しており、母は祖母に対して発言権を持てなかったので、私は祖母好みに育てられた。祖母は質実剛健な厳しい人で、ちゃらちゃらした格好や、女の子らしく可愛いものを嫌った。着てもよい色は白か紺で、ピンクなど論外。スカートは動きにくいからダメ、長い髪は手入れに手間がかかるからダメ。祖母は私を、賢い子に育てたかったようで、おしゃれにかまけていたら勉強に身が入らなくなる、という考えだった。
長い髪を洗って乾かすのに30分はかかる、その30分が毎日積み重なったら、どれだけ勉強ができるだろう、という理屈である。私は体格がよく男顔だったので、そもそも可愛い格好が似合わないというのもあったが、よく男の子に間違われた。
少し大きくなってからは、自分でも、「ピンクとか、女の子らしい格好は嫌い」と言うようになったけど、それは、可愛いものへの憧れに対する照れと後ろめたさ、可愛いものが似合わないことへの劣等感、それらを封印するための自己防衛の言葉だった。本当は、誰よりもピンクの可愛い服を着たかったのだ。
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大学生になり、一人暮らしを始め、祖母の監視の目を逃れ、アルバイトしたお金で自由に服が買えるようになったとき、私はフェミニンなワンピースを何枚も買った。たっぷりとドレープのとったスカートの裾が、歩くたびに揺れ、足にからみつく感触。パフスリーブのふっくらとしたふくらみ。光を受けてきらきら光るシフォン生地……。似合うかどうかは別にして、私はそういうファッションを楽しんだ。
「男ウケするために可愛い格好してるの?」という友人の質問は、てんで的外れだった。私は、自分自身のために装っていた。幼い頃の私の報われなかった気持ちが、これで成仏すると思った。今まで抑圧されてきた反動なのは明らかだった。反対に、私の友人で、裕福な医者の娘で、子どもの頃さんざん可愛い格好をさせてもらってきた子は、「可愛いのは、もううんざり」と言って、クールな格好を好むようになっていた。本物のお嬢さんは、雑誌に出てくるような、いわゆるお嬢さんらしい格好はしない。お嬢さんらしい格好をしているのは、お嬢さんに憧れる私のような人間だった。
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アラサーになった今も、私は可愛いものが好きだ。二十歳くらいのときは、アラサーになればもっと達観した大人になり、さすがに可愛いものへの執着もなくなると思っていたが、そうではなかった。可愛いものを愛でたり、それを手に入れたいと思うのが、女の子だとするのなら、自分の中から少女性が消える気配はまったくない。
さすがにTPOは考えて、イタくはならないようにしているが、プライベートでは、「似合う」よりも「好き」を優先してしまう。私は、好きな服を着ていると、気分もよく、一番自分らしくいられる。
年上の女性と話をすると、いくつになっても、可愛いものが好き、という少女の頃の気持ちを持っている人も多いようだ。そういうものを無理に否定して、抑え込む必要はない。仕事ではかっちりしたパンツスーツでも、家に帰ってジェラートピケのゆるふわもこもこの甘い部屋着に着替える。自分の中に居る「小さな女の子」は、そうやって自分で抱きしめてあげたらいい。