我が家にはテレビがない。アニメを観るのが好きなので買おうとはしていたのだが、テレビ線の位置、テレビのサイズ、テレビ台のチョイス、部屋のレイアウトなどなどを考えていたら、決めあぐねてそのまま時が経ち、なくても生活できていることに気づいて、買わずじまいだ。

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というのは対外的な言い訳だ。私はニュースが得意ではない。テレビだと、そのニュースを見たい聞きたいが選べず、瞬間的にセンセーショナルな情報が自分の中に飛び込んでくる。誰かが刺された、轢かれた、虐待された、死んだ、殺された、自ら命を絶ったなど、私にはそれが耐えきれない。地震や津波、土砂災害、水害の映像もキツい。性的な事件も聞くに耐えない。予防接種などの注射の映像も、針が怖いし、見るだけで痛くなってしまって目をそらしてしまう。

以前、著名人の自死報道と元首相の銃撃事件が起こった際には、自らの意思に関係なくテレビが目に入る生活をしていたので、体調を崩してしまった。どこかの動物園で赤ちゃんが生まれた、誰かがホームランを打ったというニュースだけ見ていたい精神状況がここのところ多い。

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芸能ニュースが好きな人とたまに出会う。いわゆるミーハーというやつなのだろうか。ファンでもないのに暇なのかと思う反面、そういう情報をせっせと摂取できる元気があって羨ましいという感覚もある。特に芸能人の不倫報道なんかどうでもいいとくだらないという感想しか出てこない。そのご家庭の問題なんだから報じる意味があるのかとも思う一方で、不倫ってお子さんに対する虐待でもあるのではないかとお子さんの心配をしてしまう。不倫した当人が悪いのだが、事務所は対応に追われ、ファンは幻滅し、ご家族が傷つき、誰が幸せになるんだろうかそのニュースと思わざるを得ない。なんでも報じれば良いというものではないと思う。

心が痛むニュースも文字だけであれば、多少は大丈夫だ。しかし、一人暮らしで新聞も取っていないし、進んでニュースサイトでも見ない限り、目に入ってくるニュースには限りがある。そしてネットに関しては、気になったニュースを読もうと詳細をクリックしたら続きは有料ということが多々あって、積極的に読もうとしなくなってしまった。そうやって私は精神的な安寧と引き換えに、世の中の流れについていけなくなった。ついていくことをやめたとも言えるだろう。

ニュースを遮断し精神的な安寧を得て、それ以上のメリットはないのだが、戦争や円安など自分の生活に影響する情報も得られないのは困る。戦争に関しては、値上げなど自分への影響を心配してしまうことへの申し訳なさがあるのだが。これではいかんと思い、図書館に通って新聞を読むことにした。しかし、図書館の新聞というのは人気者で、待てど暮らせど読めそうになく、断念した。

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唯一の頼みの綱はラジオかもしれない。何かとBGMを欲する人間なので、ラジオを流すこともある。ラジオは音だけの情報なので、わかりやすく簡潔にニュースが伝えられる。過度な演出や過激な表現がないのだ。それが私には性に合っている。

心が痛むニュースでも、聴き流していれば、聴き取れる情報量には限界がある。そういうことがあったらしい程度の印象しか残らず、精神的ダメージが少ない。世の中でどんな出来事があったかが、さらっとわかるだけでいいのだ。気になったニュースは自分で調べればいいのだから。

今、ラジオはパソコンやスマホで聞いているが、ちゃんとしたラジオがあってもいいなと思っている。どうせなら災害時にも使える手回しラジオを買おうかな。デジタル化の時代だが、お豆腐メンタルな私は、あえてアナログなラジオで世の中と繋がりたい。